世界平和実現構想+α

世界の平和を実現するための方法を考えます

第一章:思考法

 

思考力は伸ばせる

もしあなたが物事の考え方についてまだよく知らないのであれば、以降の文章を読むことで確実に今以上の思考力を身に着けることができる。現在の思考力の不足はただ単により良い思考法を知らないのが原因であり、その方法をわきまえればそれを改善することは可能である。多くの人は自身が想像するよりもずっと高い能力を秘めている。物事を考える力に才能が全く関係がないとは言わないが、才能以上に思考法や努力が重要である。これは気休めの言葉ではない。

私もかつては自身の能力不足に苦しめられていた。あるときはテレビに映る天才を見て落ち込んだ。自身とは比較にならない計算速度や記憶力を誇る人間や難しい問題を一瞬で説いてしまう人間がいた。私にはそれらの人間と同じことはできなかった。
あるときは偉人といわれる人間のエピソードを見て落ち込んだ。偉人は幼少期から大人の科学者顔負けの発想を見せたり、10代のうちに世界トップクラスの研究をしていたりするのである。私は科学に興味はあったのだが、そのようなエピソードは持ち合わせていなかった。
そして天才的な人間との比較からだけではなく同じ学校の同級生との比較によっても自身の頭が良くないことを思い知らされる。私はある程度の努力により学校のテストにおいてそこそこいい成績をとることはできていたのだが、それでもテストの点で勝てない人間は何人もいた。私の友人に至っては大した勉強もせず学年で一位をとるような人間であったのである。
当時の私は自分に対して学問についてはそれなりの才能がある人間だと思ってはいたが、とても自身のことを天才に匹敵すると思える状態にはなかった。そして私はなぜ私は天才に生まれなかったのだろうかと少し悔やんでいたのである。

その後さらに追い打ちをかけるような出来事も発生する。私は発達障害の診断のために知能検査を受けたことがある。その結果、私がASDかつADHDであることが判明すると同時に、私のIQがかつてギフテッドであることを判定する基準として多く使われていたIQ130という基準を下回っていることが判明する。しかもぎりぎりその値に届かなかったのではなく完全に届いていなかったのである。私のIQは少し人の多いところに出れば何人もいる程度のものだった。私はそこで完全に一般人であることを証明されたかのような気分になった。私は一般人でありどう頑張っても天才といわれる人たちが成してきたようなことはできない。そう考えると私の気分はより一層落ち込んだ。


しかし今ではそれらの考えは誤りであったことを理解している。私は物事の考え方というものを考え始め、歴史上の数多くの偉人のエピソードをしることによりその思考法を吸収した。すると意外にも天才と言われる人々の思考力の大半が自身にも獲得できるようなものであることに気が付いたのである。もちろん中には本当に類まれなる才能により成功を収めた人もいるが、かつて天才と呼ばれた人のほとんどは、実のところ物事の考え方を知ったうえで努力した凡人にすぎない。天才というのはおおむね一般の人々によって作り出された架空生物である。

私はあなた方が物事を考える方法を知ったとしても、必ず天才に匹敵する能力を身に着けられるとは言わない。しかし考え方を知ることで、それを知らない状態からは考えられないほどの思考力を手に入れることは確実である。今では創造性の研究も進展し、人類の歴史において天才と呼ばれてきた人々がどのようにして高い創造性を発揮してきたのかということについても判明しつつある。創造性が一部の天才だけの特権である時代は終わりである。あなたは以降に紹介される思考法を読むことにより、自身の思考力の不足が生まれつきの性質であり改善不能であるという思い込みから解放されることになるだろう。


考え方を考える、何を考えるかを考える

私の紹介する思考法の内もっとも重要なのは考え方を考えることである。
これを実践すれば、以降に紹介する思考法は自ずと獲得できる。

「考え方」には、思考全般に通用するものもあれば、各問題特有のものもある。私は思考全般に通用する思考法を考えるだけでなく、重要な問題に直面するごとにその問題特有の考え方についても考えるようにしている。また、考える力を伸ばす際は思考法のみならず脳や体、そしてそれらを取り巻く環境についても考えたほうがいいだろう。

 

また、これは私の経験則であるが、何を考えるかによって生じる発想は全く異なる。例えば文章の書き方について考察するとき、高い質を高める方法を考えるのと速く文章を書く方法を考えるのとでは得られる結果は全く違ったのである。考察を行う際は何を考えるべきかについても考えるべきである。

しかし何を考えたらいいのかは事前に確実に言い当てられるわけでもない。考える価値のあるものを見過ごすこともありうる。対策としては普段から多様なことを考えるのがいいのではないかと思う。より多くの対象について考えると、必然的にアタリを引く確率は高まるだろう。何を考えるかを考えることだけでなく、より多くのことを考えることの両方が大切である。

 

考える時間を増やす、継続的に考える

優れた発想を出すためには、考える時間を増やすという力技も有効である。考える時間を増やすことによっても当然発想の量は増え、優れたアイデアが生まれる可能性が高まる。長く考え続けることで前人未到の領域へと突入すれば、今まで誰も思いつかなかったようなアイデアを生み出すことが可能になるだろう。

考える時間を増やす方法として、一定期間内の思考時間を増やすという方法もあるが、それに加えてより長い期間に渡り継続的に考えるという方法もある。人は時期によって何を考えているかが違う。あるテーマについて継続的に考えると、そのテーマに関するアイデアがそれぞれの時期特有のアイデアとが結びつき、思いもしないアイデアが生まれることもあるかもしれない。また、継続的に考えることによる記憶の定着も発想力の向上をもたらすだろう。定着した記憶は思考における操作が容易くなるので発想に使いやすくなる。

長期に渡って何かを考える際は、いくつもの問題を同時並行で考える用にするといいだろう。同時並行でいろんなことを考えることもまた普段は結びつかないようなアイデア同士が結びつくことに貢献するだろう。そしてさらに私は重要な疑問を蓄積し、それを時折見直すことも検討している。そうすれば現時点で分からないような問題もいつのまにか解決されているかもしれない。


メモを使う

レオナルド・ダ・ヴィンチが大量のメモを取る人物であったことは知る人も多いかもしれないが、そのような偉人は他にもいる。エジソン、ニュートン、アインシュタイン、ショーペンハウアー、ナイチンゲール、ゲーテ、ナポレオンなどの偉人もメモを大切にしていたと言われている。


人は思いついたアイデアを忘れないようにするためにメモへの記録を行わなくてはならない。特に私のような凡人は大した発想力を持たないのだから、せめて思いついたアイデアは逃さないようにするべきである。思いついたアイデアをすぐに記録できるように普段からメモ帳を携帯しておいた方がいいだろう。考える際にメモを使いながら考えることも大切である。メモを使わず考える場合、一時的に使用する情報を脳内で維持することになり脳に負担がかかる。それにより発想のためだけに脳を使うことができなくなる。メモを使えば、メモに書かれた大量の情報を見直したときに、普段は結びつかないような複数のアイデアが結びつくこともあるかもしれない。

 

情報を記録する際には紙のノートや電子メモなどを使うことができる。
個人的な好みに過ぎないが、私は紙のノートを使用する場合は以下の条件を満たすようなノートを使うことにしている。
・ページ数が多いもの
・持ち運びが不便にならない範囲で紙のサイズが大きいもの
・書きづらくならない範囲で行や列の間が狭いもの
ページ数が多いものを用いる理由は、ページ数が多ければノートを頻繁に取り換えずに済むし、見直す際に棚から大量のノートをとりだすことになるのを防げるからである。
また、紙のサイズが大きいノートを用いる理由は、紙のサイズが大きければより多くの情報を同じページに書き込むことができ、より多くのアイデアを一度に俯瞰できるため情報の結びつきが起きやすくなる効果が期待できるからである。ページをめくる回数が多いと考える速度にも支障をきたすことになるが、一つのページに書き込める情報を多くすることでページをめくる頻度を下げることも可能である。
行や列の幅が狭い方がいいというのは、その幅が狭いことで文字が小さくなり一つのページに多くの情報を書き込めるようになるからである。これもまた一つのページに多くの情報を書き込めることになり、アイデアの結びつきを起こしやすくすることにつながる。
ちなみに私は持ち運び用の小さなメモ帳と本格的に考える用の大きなメモ帳の二種類を使用するが、後者の方はルーズリーフを使用している。ルーズリーフはページの抜き差しが自由であるのでアイデアをまとめることが簡単になる。


しかし、実のところ私は紙のメモよりもPCのメモを使用することが多い。私はペンで記録すると記録に時間がかかるためアイデアを書いている途中に別のアイデアを逃すことが多々ある。それに比べてキーボードで情報を記録する場合は、タイピングに慣れてさえいればペンで情報を記録するよりも速いので思いついた大量のアイデアを逃すことを防ぎやすくなる。また、電子メモは文章をコピーして別の位置に移動することが容易であり、紙と比べると大幅に編集作業が楽になる。紙のメモの方がいいという者もいるが、私の場合は編集作業の効率化を重視してPCのメモを使用することにしている。さらにはPCでのメモはデータのバックアップを取ることもできるし、インターネットを通じて複数の機器で共有することもできる。紙のノートを用いたほうが情報が記憶残りやすいと言われることもあるが、私は電子メモのメリットの大きさからそれを紙のメモよりも優先して使っている。

ただし、PC上でのメモは情報が流出する可能性もあるので注意が必要である。情報を流出させたくないのであれば十分なセキュリティ対策をする必要がある。私が知っている範囲では、一般人ができるセキュリティ対策として、信用できないサイトに接続しないこと、他者から送られてきた不信なメールやファイルを開かないこと、セキュリティソフトを導入してそれを最新の状態に保つこと、信用できないソフトウェアをダウンロードしないこと、重要な情報を暗号化することなどがある。USBなどの外部記録媒体を介してウイルスが流入する可能性もあるので気を付けなければならない。私はセキュリティの専門家ではないのでこれ以上のことは書けないが、読者には自力でどのような対策が有効なのかをより詳しく調べてほしい。一般人にできる対策は大したものではないが、このような対策を地道に行うことで着実にリスクを減らすことができる。しかしどんなに対策しても情報が流出する可能性を無にすることは難しい。どうしても流出させたくない情報は、そもそも電子メモではなく紙のメモに記したほうがいいかもしれない。私は本当に見られたくない情報は基本的には電子データとしては残していない。また、紙のメモも場合によっては他者に見られる可能性がある。絶対に見られたくない情報については紙のメモに書くことすらせずに脳内のみにとどめるようにした方がいいだろう。

また、データを保存する際のファイル形式が特定のソフトウェアでしか使えないようなものであれば、そのソフトウェアが使えなくなったタイミングでそのファイルを開けなくなるのでその点にも注意が必要である。


私はメモに書いたアイデアはできる限りまとめるようにしている。アイデアをまとめることで、見直しが容易になったり新しいアイデアが生まれたりするからである。いいアイデアに関する記憶が整理されたり記憶に定着する効果も生じるだろう。しかし思いついたアイデアが膨大な場合は無理にすべてのアイデアをまとめる必要はない。その場合は重要なアイデアのみをまとめたらいい。質は落ちるがメモの見直しはせず脳内にある情報だけをもとにアイデアをまとめることもある。一度メモに記録しているのであれば、それによりアイデアがある程度は記憶に定着しているので、脳内の情報をもとに思い出すだけでもアイデアはまとめられる。

 

メモシステムを構築するにあたっていったい何が重要なのであろうか。
アイデアを蓄積し、それを活用することを主眼においた場合、メモの蓄積の高速化とメモの引き出しの高速化が大切なのではないかと思う。考察と検証が甘いのでこれ以上のことには大して触れられないが、高品質高密度な情報を、その情報の位置の把握が簡単になるようにするために体系的に蓄積することで、情報の高度な連携による知の超新星爆発を起こせるのではないかと考えている。


拡散と収束

創造性の研究において拡散的思考という語と拡散的思考という語が使われているが、以降の私が言う拡散思考と収束思考はそれらとは少し意味が違った語であるので混同はしないように。

良い発想を生むにはとにかくたくさんのアイデアを出すという方法も有効である。
私はアイデアを出したいときには、手元にメモなどを用意して思いついたアイデアを手当たり次第に記録しながら考える。ここではこのようなとにかく大量のアイデアを出すような思考法を拡散思考と読んでいる。アイデアを記録しながらの拡散思考を行った後、記録したアイデアを見直すことで、さらにアイデアが生まれたり、普段結びつかないようなアイデア同士が結びつくことがある。よさそうだと感じたアイデアは、それが本当にいいアイデアかどうかなど判断せずとにかく大量に書き記すことだ。そのアイデアが本当に使えるかどうかはあとから判断すればいい。


しかし私はただ思いついたアイデアを書くだけで十分だとは考えていない。超拡散思考はアイデアの量に主眼が置かれた方法ではあるが、同時に質も高められるのなら高めたほうがいいだろう。そのためには深い考察に基づいてアイデアを出すこともしなければならない。考察をせずに思いつくアイデアばかりを記録したとしても、質の浅いアイデアが集まるばかりである。拡散思考はとにかく大量にアイデアを出すことに主眼を置いているのだから質の低いアイデアを書くこと自体は問題ないどころか推奨されるものであるが、同時にその中に質の高いアイデアが含まれるようにする努力もした方がよいのである。質を高める方法とそしては普段から良く学ぶということも考えられる。高度なアイデアは学ぶことによってはじめて生じるものも多い。学ぶことの大切さについては後に詳しく説明する。


アイデアを拡散させた後は、アイデアをまとめることが大切である。ここではこのようにアイデアをまとめることを収束思考と呼ぶ。アイデアをまとめることで全体を見渡すことができるようになる。例えば思いついた大量のアイデアを同じようなアイデアごとにグループ化することで、どこにどのようなアイデアがあるのか判断しやすくなる。どれが本当に使えるアイデアなのかを判断するのはこのときである。
アイデアをまとめなければ、のちにアイデアを見直すことも難しくなる。書きなぐられたままのアイデアはどこにどの情報があるのかを判別するのに時間がかかり、結局見直されないまま放置され、そのまま忘れ去られる。思いついたアイデアを有効活用したいのであれば、それを整った形で記録しておかなくてはならない。
拡散思考の質は、このように収束思考をすることによっても高められる。
アイデアをまとめたあとにさらに拡散思考を行えば、さらなるアイデアを生み出すことができるのである。アイデアをまとめることにより記憶にも定着し、脳内でのアイデアの操作がしやすくなる効果にも期待ができる。以上の拡散と収束を繰り返せば、質の高いアイデアを大量に生むことができる。

 


本質考察

私はアインシュタインを非常に尊敬している。アインシュタインがこのようなヒントを残してくれていなければ、私は物事について深く考えることをしなかった可能性が高いからだ。私はアインシュタインのこの言葉を知ったことで、私のような人間にもアインシュタインと同等のレベルには届かずともかなり高度な世界の真理を見抜くことができるのだと確信した。

アインシュタインは「6歳の子供に説明できなければ、理解したとは言えない。」といった。私はこの言葉を聞くまでは、天才の発想は才能がなければ決してひらめかないようなものだと思っていた。しかしおそらく違うのだ。アインシュタインは地道に物事の本質についての理解と考察を続けたのだ。私はこの言葉を聞いて地道に物事の本質についての考察を行うようになり、結果としてかつての自分からは考えられないほどの発想力を手に入れることに成功した。ちなみにファインマンも「高校生レベルの知識層に説明して伝えることができなければ、その人は科学を理解しているとは言えない」と言っている。


チェックリスト法

私は様々な思考法を思いついたが、それを実行すべきときに確実に実行する方法としてチェックリスト法を使用している。チェックリスト法とは、行うべき作業をあらかじめリスト化し、後にそれを確認しながら作業することでそこに書かれたすべての作業を確実に実行するという方法である。チェックリスト法を使用することで行うべき作業を漏れなく行うことができるようになる。例えば買い物に行く際に何を買うのか記録したメモなどもチェックリストの一種である。
私はあるテーマについて本腰を入れて考える際には、あらかじめ作成しておいた考察の際に実行すべき思考法のリストを確認し、そこに書かれたすべての思考法をもれなく実行するようにしている。それにより自身が。もしアイデアを出すために有用な視点をチェックリストにしておけば、強制的にアイデアを出すこともできるだろう。チェックリストはアイデアを確実に出すために有効な方法である。

しかしチェックリストを作成する際には注意すべきことがある。それは確認する項目の数が多くなりすぎると、そのチェックリストの実行に大きな時間がかかるようになるということである。
私は普段使用するチェックリストについては、その項目が多くなりすぎないように注意している。私が頻繁に使用するチェックリストの項目数はせいぜい5つである。また、チェックリストに頼りすぎると、視点が固定され発想が偏る可能性もある。チェックリストに過度にとらわれないように注意しなくてはならない。

 

 

経験を積む

高い才能や思考力を持っていたとしてもある分野を短時間で極められることは少ない。
確かに天才といわれる人間が新しく参入した分野において僅かな時間で華々しい成果を上げることもある。しかしいくら才能があっても膨大な経験を瞬間的に体得できるわけではない。
その才能を生かして考えることで他者にない発想をすることはできるかもしれないが、経験を積まなくてはできないようなことは継続的な活動により初めてできるようになるのである。
経験により得られる技術まで含めてある特定の分野を極めたいと思うのであれば、継続的な努力を行わなくてはならない。

ただし、世界の情勢や自身の変化によりその分野での経験が不要になることもありうる。変化に対応したいのであれば特定の分野のみに自身の力のすべてを割くようなことはしない方がいいだろう。


膨大な情報への対処法

私は処理しなくてはならない情報量が多すぎて脳が混乱することがある。自身に押し寄せる情報量が多いと何をしたらいいのか分からなくなるのである。現代の情報化社会では情報があふれているのでおそらく私と同じ悩みを持つものは多いだろう。そのような膨大な情報による混乱を避けるためには、処理能力を高めることや処理するべき情報量を減らすことが必要である。私は処理するべき情報量を減らす方法として全体像を捉えることを意識している。全体像をとらえるようにすることで、何を優先して考えるべきか見抜けるようになり、小さな情報を不必要に処理することを回避できるのである。


また、膨大な情報へ対処する方法としては以下の方法も参考にできるかもしれない。これらは私が調べた現在における成功者の思考法である。
現在世界一の資産を持ち宇宙開発企業SpaceXなどの企業のCEOであるイーロン・マスクは第一原理思考という方法を使って自身の戦略を考えているらしい。それはあることについて考える際に絶対に確実であると言えることを見抜いてそれをもとに思考を展開するという方法である。
また、現在世界二位の資産を持ちイーロン・マスクに抜かれる直前には世界一位の資産を持っていたAmazon創業者ジェフ・ベゾスは、戦略を立てる際には変わらないものを軸に考えることを重視しているようである。
先述の通り現在の世界はかつてないほど情報にあふれる世界になっている。そしてそれらの情報の中には着目する価値のないものや誤っているものも数多く存在する。しかしこの二者のように真に重要かつ確実な情報を見抜くようにすることで、それらの情報に惑わされることを回避できるようになるのかもしれない。

 

脳の限界

人は五感で直接的にも間接的にも受け取れないような外部の情報は認知できない。そして人はその五感で受け取った情報についてそのまま認識するのではなく、その情報を人の脳の機能によって処理された後のものを認知するのである。つまり人は五感によりフィルターがかけられた情報がさらに脳によって処理されたものを認識するのである。しかしそれは本当に世界を正しくとらえられているのだろうか。私には人の思考や認識はとても信用できるものだとは言えないように思える。仮に人の思考によってそれが正しいことを証明できたのだとしても、その証明はもしかすると誤った思考システムで正しいと判断したものであるので実は間違いであるということになるかもしれない。

人の脳には生まれつきの能力が備わっている。例えばどこの地域の人間であれ等しく論理的思考ができるのは、どの人も生まれつき論理をもって世界を認識する性質を持っているからである。生まれつきの能力は論理以外にもある。そして私はそれらの生まれつきの能力の形式には、脳や身体を構成する物質や組織の都合からやむをえず決まったものと、進化の過程で有利だから残ったものがあるのではないかと考えている。しかしどちらの理由で決まったものにせよ、それは世界を理解するために生じた性質ではないだろう。そう考えると、やはり人は世界を真に理解するのには向いていないのかもしれない。

話は変わるが、私には脳だけに意識が発生するというのはどこか奇妙に感じられる。脳以外にも意識が発生しているか、物質と意識以外にも多様な何かが存在しているのかもしれない。あるいはそもそも意識しかないのかもしれない。我々はよく考えると物質など一度も見たことがない。我々が見るのは全て意識の上にあるものである。物質というものがあるのだとしてそれはそもそも意識の上にあるものを指しているのかもしれない

 

・実証
このように思考というシステムは信用できる保証のないものである。自分の脳内でこれは絶対に正しいと思っていたのだとしても、それが本当に正しいかどうかは分からない。従って私は脳内で思いついた理論はそれを過信せずに、それが本当に正しいのかどうかを実際に試して確認したほうが良いと考えている(それをしても正しい保証はないが、我々は検証をすると正しい可能性が高まるということを経験的に知っている)。自分の理論の実践が、実際にはどのような効果をもたらしているのかを部分的にも全体的にも把握しなくてはならない。

社会の改革についても同じことがいえる。どれほど時間をかけて改革の案を思いついたのだとしても、それが絶対に正しいと思い込んではならない。特に社会の制度を根本的に全く新しいものに変える場合は、少しずつその制度が実際に使えることを確認しながら導入した方が良いだろう。そうしなければかつての共産主義のように失敗するかもしれない。

 


・観察の重要性
実験や観察を行うことで初めて見えてくるものもある。考察だけで気づくべきことに気づこうとせず、実験や観察も行うようにした方がいいのではないか。


・実際に行動してみること
実際に行動を起こしたときに起こる問題について、事前に推論をして言い当てようとする場合には、多くのパターンを想定しなくてはならないので多くの時間を割かなくてはならない。そして多くの時間を割いたのだとしても実際に起こる問題を全て見抜けるとは限らない。しかし最初から行動を起こしていれば実際に発生する問題を推論なしに直ちに見抜くことができ、その問題への対処法を考える時間が事前の推論に時間を使わなかった分多くとれるようになるだろう。

私は事前に推論することが無意味だと言っているのではない。実際に問題が起きてから対処すると非常に大きな時間がとられる場合も存在する。そのような場合は事前にある程度の考察の時間をとってでも起こりうる問題を予測してそれへの対策を行っておいた方が良いだろう。結局のところこれもバランスの問題である。どの程度事前の考察の時間を取るべきであるかは場合によって違う。問題が発生した場合のダメージが高いと考えられる場面では事前の考察の時間は多めに取った方が良い。

 

体の健康と運動

適度な運動により脳の能力が強化されるらしい。週に一定時間ジョギングの時間でも取ってみてはどうだろう。それができないなら散歩でもいい。散歩の習慣を持っていた天才は多い。自分も散歩の習慣は大切にしている。いや意図的に大切にしているというよりはもはや散歩中毒になっていかずにはいられないといったほうが正しい。行かなければ身体が落ち着かないのだ。


才能

私は少なくとも現時点では生まれつきの才能によってその人の能力に制限がかかる場合があることについては認めざるを得ないと考えている。しかし今の世の中では極端に生まれつきの才能に重きを置く考えが蔓延っているかのように思われるので、それの風潮を修正するためこの項目を用意することとする。例えばIQが高いことが天才であるための必須条件であると捉える動きが世の中に存在するがそれは多くの誤解を生じうる考えである。IQを過信してはならない。


IQは知能の水準を図ることを目的として開発された指数の一種である。
ターマン博士は自身の研究において、IQが140を超える児童を天才であると仮定してそれらの児童がその後どのような人生を送るのかを追跡調査した。その結果それらの児童はそれぞれの分野である程度の成功を収めることには成功したが、傑出した成果はあげていないことが判明した。そして逆にIQ140という基準に満たずにその調査の対象とならなかった児童のなかから、ルイス・アルバレズとウィリアム・ショックレーというノーベル物理学賞受賞者がでることになった。このことから、IQが高くても天才であるとは限らないということと、IQが高くなかったのだとしても大きな発見ができないわけではないということが読み取れる。また、同じく著名な物理学者であるリチャード・ファインマンのIQも125である。この数値は決して低くはないが、せいぜい20人に一人いる程度の高さである。


さらに、チェスと知能指数に関する研究では、より高度なチェスプレイヤーになればなるほどIQによる実力の差が小さくなるという研究結果が多い。その代わりチェスの練習時間や経験の多さがチェスの能力の高さと相関するようである。分野によってはIQなどほとんど意味がない指標となることもあるのかもしれない。


私は以上の事実から社会的に大きな成功を収めるのにIQ140を超えるような極端な高さのIQは必要がないと考えている。創造性研究の世界でもIQと研究者としての能力は全く無関係ということはないが、極度の高さのIQは必要ないという考えが主流である。現在IQが高くないことが判明している人も自信を無くさずにやりたいことにチャレンジしてみるのがいいのではないだろうか。IQが高くなくても意外とできることは多い。少なくとも私はファインマンより低い自身のIQを理由にして自身の能力に足かせをはめることはしない。もし極度に高いIQがなければできないことがあるとすれば、人類の科学が発達しすぎたことにより科学の先端に到達することすら一生かけないとできないような状況になったときぐらいだと思うことにしている。

 

 

 

環境

有利な環境とはどのようなものだろうか。その環境が有利であることにつながる要素はいろいろあるだろうが、私はその一つとして質の高い情報の入手のしやすさがあるのではないかと思っている。質の高い情報を多く持っていれば、考えることの質も高めやすいだろう。例えば世界でもトップクラスの研究がおこなわれている研究室に属する研究者は有利だし、資金力が豊富な人も情報を集めやすい環境を構築できるのでこの点で有利である。

あるいは研究者なら、研究資金が獲得しやすい環境にいる者も有利かもしれない。研究資金の獲得に多くの時間をかけなくてならない場合は当然研究の時間は削られる。また、生活すらままならないような研究者はもっと不利だろう。日本では生活のために目先の成果を求めざるを得ないような研究者が増えていると聞くが、そのような状態ではじっくりと真に価値ある研究に取り組むことも難しくなる。

科学技術の発達により思考をサポートする道具や技術が充実した環境にいることも、思考力を高めることにつながる。人類はその歴史において、文字や紙を発明し、ついにはコンピュータを生み出した。それによりそれ以前には処理しきれなかった膨大な量の情報を取り扱えるようになっている。今後も技術の発展により人類が扱える道具が進化し、それは人類の思考力の強化に寄与するだろう。遠い未来に脳を強化する技術が実現する可能性もあるかもしれない。それがいいものであるかどうかは別の問題であるが。


・他人との協力
他人との協力も大切である。一人ではできないような大きな処理でも複数人で分担することで実現可能になる。また、他者と協力することで、思考に必要な情報をより多く集めることもできるようになる。あるいは他人と議論することで、一人で考えた場合に生じがちな偏見を防止するもできる。


好きなことについて考える

日本には好きこそものの上手なれということわざがある。自分の好きなことについてやるからこそ自ずと多くの時間をその活動に割くことになり、結果として好きなことが得意なことになるということである。思考においてもこれは同じである。自分が興味を持っていることについて考えるからこそ難なく多くの時間をその考察に費やすことに成功し、やがてはそれについて他の追随を許さないほど深い見識を持つにいたるのである。