世界平和実現構想+α

世界の平和を実現するための方法を考えます

第八章:教育

 

 

 

学校教育

なぜ学校教育が必要か

学校がない場合にすべての子どもが自ら何かを学ぶとは限らない。
勉強の重要性に気が付かず一切の勉強をしない子どもが出る可能性がある。
また、自ら学ぶ子どもがいたとしても学ぶ内容が偏る恐れがある。その子どもがその幸福を実現するためあるいは社会を維持するために必要な知識を技能を一部しか身に着けてもらえないかもしれない。しかし学校で十分に練られたカリキュラムを習得させることで、学びの内容の偏りを抑えそれらをより確実に習得させることができる。


自力で学ぶ場合には難しい知識の理解に大きな時間が割かれる可能性がある。しかし学校に通っているのであれば教師が生徒の実力に合わせてわかりやすく説明することもできる。自力で学ぶ力を習得させつつも、難解かつ重要な知識を習得させる場合は学校でのサポートがある方が好ましい。各学校の教師の努力のみでは不十分であるのなら、わかりやすい教材を用意するということも考えられる。生徒のレベルに合わせた教材を用意した方がいい。今は動画教材やオンラインでの教育という手段もある。

 

社会的な問題について説明する際に、基礎的な知識がない人間には基礎的な知識から説明しなくてはならない。それでは時間の消費が激しい。しかし学校で基礎的な知識を教えておくことで、一から説明することを避けることができる。社会でよく使われる概念については理解させておいた方がいい。また、世界には多くの人間が変わらないと解決できない問題がある。多くの人間を変えるには知識を広く共有することが必用だ。そして知識を共有するためにもあらかじめ重要な知識は学校などで教えておかなくてはならない。近年発生したコロナウイルスで社会は大きく動揺させられた。しかしウイルスとは何か、どうすれば感染を防げるのかなどの知識を教育で教えておくと、今後似たような事態があった場合にも容易に対処できるようになるのかもしれない。


学校で幅広い知識を習得させることにより子どもの選択肢を増やすことができる。選択肢が増えれば好ましくない選択を回避できるようになる。しかし残念ながら世界には文字を読むことすら教えてもらえない子どもがいる。これでは新しくものを学ぶことも難しいので身動きが取れないだろう。十分に教育を受けることができない子どもがいる状況は直ちに改善されるべきである。また、女性が教育を受けることが妨げられている地域も存在する。女性も男性と同様に人類の一員であり、教育を受ける権利は当然確保されなければならない。これもまた速やかに改善されるべき問題である。

 


学校教育で実現するべきもの

・子どもの現在および将来の幸福の実現
・世界平和の実現及び社会の維持
・上記二項のための能力向上

 


能力向上のために提供されるべきもの

・考える力を身に着けさせるための教育
・学ぶ力を身に着けさせるための教育
・最低限の知識及び技能を習得させるための教育
・学ぶのに適切な環境
・子どもが知らない優れた選択肢の提示

 

考える力と学ぶ力を身に着けさせたうえで、学ぶのに適切な環境を用意すれば子どもは自らものを学び始めるだろう。さらに子どもが知らない優れた選択肢を提示すれば、子どもがそれを見落とすことも防ぐことができる。
ただし、先述の通り子どもが自ら学ぶだけではその子どもの将来の幸福や世界の平和を実現するうえで知らなくてはならないことを学ばないリスクもある。子どもは何を学べばいいのかを完全に見抜けるわけではない。だからこそある程度は学校教育の内容を決定する立場の者が多くの分野の専門家を交えて子どもが学ぶべき知識を議論し、学校教育において子どもが学ぶべきものを策定しなくてはならない。
ただし、学校で教えられる知識も偏りが生じることは避けられず、さらには学校で教える内容の量が多いことは子どもの自主的な活動を阻害することにもつながる。子どもの時間を学校の勉強に過度に割かせることは避けなくてはならない。学校教育の効果の向上は、教育の時間を増やすことばかりではなく教育の質を増やすことによっても達せられる。時間を増やすやりかたにはいずれ限界が訪れる。

 

・最低限の知識及び技能について。
最低限というのは使う知識だけを覚えさせるということではない。使うことがないあるいは稀な知識であっても、子どもが自身が知らない分野に興味を持つきっかけを与えたり、子どもに世界の全体像を把握する力を身につけさせたりするために覚えさせるべき知識というものが存在する。

最低限とはいえ、例えば日本なら義務教育の期間だけでも9年間かけて学ぶものであり量はそれなりの多さになる。しかし今の教育制度でみられるように過度な知識を覚えさせる必要はない。


・教える力を身に着けさせる
何かについて理解ができない生徒がいるときは、それを理解している他の生徒にその内容を教えさせるようにしてはどうだろうか。もちろん生徒は教師ではないので教育内容を他の生徒に理解させる義務などを負ってはいないが、誰かに教えることは教える人自身の理解を深めることに役に立つので教えた側にもメリットがある。教える力の向上は政治に関する情報をわかりやすく説明できることにもつながるので民主主義の品質もあげられるかもしれない。

 

・対話の力を身に着けさせる
近年はSNSでのコミュニケーションが増えたことにより、若い世代の対面での対話の力が低くなっているという話も聞く。もしそれが事実であるのならその対策のためにも人と話す能力を学校にいる間に教えたほうがいいのかもしれない。

人と話せなくても誰も苦しまず幸福に生きていけるのならいいが、実際には社会に出る際に自身の対話能力の低さに苦しむ人間もいる。また発達障害者や高いIQを持つ子どもの中にも対話の力の不足に苦しむものは多いようだ。これらの属性を持つ人々が活躍できるようにするためにも、対人能力について教育過程での支援を行うことを検討してもらいたい。
私は発達障害特性も相まって現時点では極めてコミュニケーション能力が低くなっている。改善の意思がある以上はこの問題を解決できると認識しているが、教育上で適切な支援を受け入れられていたらもっと早くに解決できていたのではないかと思う。

しかし身に着けさせるコミュニケーション能力の種類には注意しなければならない。現在の日本社会において良しとされる対話力は教える価値のないものも多分に含まれるだろう。

 

・子どもの知的好奇心を破壊するような教育は避けなくてはならない。
知的好奇心を高めることで生涯学習を実現することができる。
学校で学ぶ量では足りない。生涯にわたって学び続けてもらうことで人民の能力は大幅に向上する。脳の老化の加速を防ぐことにもつながる。

 

・学ぶのに適切な環境を用意することとはどういうことか。
学校では子どもの活動を支援する環境が提供されるべきである。
子どもが調べたい情報や知りたい知識を得やすい環境を提供することを推奨する。
少なくとも日本の学校にはそれぞれの学校ごとの図書館が用意されているが、さらにそれ以外の手段も用意できるものは用意すべきである。子どもが分からないことを相談できる相手がいるといいかもしれない。あるいは学校外で開催される学びにつながるイベントの情報の提供などが考えられる。

子どもの活動に必要な設備の提供することも推奨する。
例えば、情報技術に興味を持つ子どものためにも学校でPCなどの設備を用意したほうがいいのかもしれない。全ての家庭が子どもにPCなどの機器を用意できるわけではない。

周りに余計なものがあると勉強に集中できない人間は多い。
自習室としての役割を果たすのもいいだろう。

 


幸福の実現のための教育

・子どもの内からの幸福の実現
自由な時間は十分に持たせるべきだろう。過度な宿題を出して家での時間をつぶしてはならない。
いじめに対する対処法もより高度に洗練されなくてはならない。いじめにより学校が苦痛になるようであってはならない。


・未来の幸福の実現
先ほど紹介した子どもが知らない選択肢の提示という手段は未来の幸福の実現のためにも有効。進路の情報やいざというときの相談機関などを教えたりするといいだろう。

 

・危険の回避手段を教えること
海などでおぼれそうになった時は「浮いて待つ」などの対処法を知っていれば救助される可能性が高まる。学校教育において浮いて待つための方法を教えるといいだろう。しかしそれのみですべての問題を回避できるわけではない。例えば川では浮いて待つ状態の維持は難しい。危険な場所にはそもそも行かないようにするということも教えた方がいい。海についても管理された海水浴場の方が安全である。学校教育ではこのように身近に潜む危機について対処法まで含めて教えるべきである。

 

世界平和の実現及び社会の維持のための教育

・政治の教育

後に詳しく触れるが、私は世界の平和を実現するためには民主主義を実現することが大切であると考えている。従って、私は学校教育の場において民主主義とは何かということを生徒によく教えることを推奨する。その教育においてはなぜ民主主義がいいのかということが生徒に十分に説明されなくてはならない。また、民主主義についての教育においては、民主主義の衰退の例なども教える価値がある。

 

社会問題について子どもが積極的に議論する時間を用意するべきである。これにより実際の社会制度の知識を身に着けることができる。また、学校にいる間に自ら政治問題について情報を集めることもさせたほうがいい。教科書にある知識だけではなく、生徒が自ら調べることで実践的な能力を身に着けることができる。そして、生徒の側は幅広い情報を集めるようにするべきである。

学生が政治に関する改善案を個人あるいは共同で考え、それを政治家に伝わる形で提出する機会を用意してはどうだろうか。もしかすると社会全体を根本から見直した非常に優れた改革案が上ってくるかもしれない。

政治制度について教え、なぜ政治に参加するのか、どのように政治に参加するのかなどについても教えるべきである。疑似投票や投票場の見学にでも行かせてはどうだろうか。


情報を取り扱う力に関する教育を行うべきである。情報収集の方法や、よくある統計の嘘を見抜く方法などを教えるとよい。

 

 

・道徳教育の実現
道徳教育はどのように行われるべきかについては現在考察中である。私はまだ道徳教育について十分な知見を持ち合わせていない。以下に私なりの道徳教育に関する見解を載せておくが、道徳教育はさらに向上させた方が良いだろう。

差別への反対。長期的に見れば社会における差別は着実に減少している。今は奴隷制を支持するものなどほぼいない。差別は完全にはなくせなかったのだとしても減らせないものではない。教育によりその減少を加速させることができるだろう。

病気や障害を持つ人への理解の促進すること。教育時間には限界があるため、全ての病気や障害を網羅できるわけではない。しかしそのうち社会でより広くみられるものや、より社会の理解が必要なものについて教えるべきである。そしてその他の病気や障害を持つ人についても自ら理解を進めることを教えるべきである。他にはけが人への応急措置法などを教えることもしておいた方がいい。心肺蘇生法などの指導がそれに当たる。

よくないものについて教えられないと気づけない人もいる。あらかじめ学校で不適切な行いを不適切である理由も添えて教えておくとよいだろう。例えばセクシュアルハラスメントパワーハラスメントなどが不適切であることは学校で教えておく価値のあることなのではないだろうか。

 

・犯罪率を低下させるための教育
被害者の苦しみを想像できずに犯罪に走る例もあるのではないだろうか。被害を受けたものにどのような苦しみが生まれるのかを示しておいた方が良い。無理に被害者への共感を持たせる必要はない。ただ事実については理解させておくべきである。

中には怒りを抑えられず衝動的に暴力事件を起こす人間もいる。私も発達障害特性が影響してか瞬間的に強い怒りに呑まれることがある。これも教育においてアンガーマネジメントの方法などを教えるなどして対策できるのではないだろうか。


社会全体向け


教育の支援

子どもは社会的に保護されるべき存在である。自身の子どもでなくともその育ちを十分に支援する必要がある。その過程において教育に関する社会的支援も行わなくてはならない。親が教育について相談できる機関を作ることなどが考えられる。

 

体罰禁止

体罰は禁止されるべきである。子どもが怯えるような教育は適切ではない。暴力だけではなく、暴言や嘲笑などの子どもの尊厳を傷つける行為も体罰である。体罰なしでうまく教育を行う方法が分からない親や教師も存在するので、社会や政府は体罰なしの教育方法を社会全体に広める努力をしなくてはならない。

体罰を禁止した国は暴力をふるう者の割合が減っている。最近では国の経済力に関係なく体罰を禁じている国は暴力性が低く、体罰を容認している国は暴力性が高い傾向にあるという論文も出てきている。また、日本においても体罰に対して徐々に厳しくなってきている(2020年には法律で完全に禁止された)が、それと同時に若者の犯罪率は着実に減少し続けている。時折最近は治安が悪くなったなどという人間もいるが、それは統計を見れば誤りであることがわかる。

体罰の禁止は親を追い詰めることを目的としたものではない。体罰をする親を直ちに子供への愛情がない人間であると決めつけるようなことは差し控えるべきである。体罰をする親の大半は子どもに愛情がないのではなくただ単に適切な教育方法を知らなかっただけである。特に体罰の風潮が色濃く残る社会において、親が自力でそれが不適切であることに気が付くことは難しい。ただし、現在体罰を行っている親は体罰が不適切であることを知ったのであれば直ちにそれを停止しなくてはならない。ちなみに日本は既に体罰が法律によって全面的に禁じられている。大人に暴力をふるってはならないのに子どもに暴力をふるってもいいということはないのである。


親向け

子どもの幸福

子どもの幸福を後回しにしてはならない。
確かに成人してからの幸福のために子どもの内から努力をさせることも大切だが、その努力のために子どもの時代の幸福を奪うことは避けるべきである。
せっかく(少なくとも先進国の大半の家庭では)働かずとも生きていける期間を学校の勉強で潰すのはもったいないことである。

子どもに成功を求めてはならない。成功を目指すか目指さないかは子ども自身が決めることである。


努力を褒める

頭の良さではなく努力を褒めるべき。努力を褒めると子どもは自ら努力を行うようになるだろう。
しかし頭の良さを褒めると子どもは現状に満足し努力をしなくなる可能性がある。あるいは頭が悪いと思われたくないがために挑戦を避けるようになる。
子どもが努力をしてそれを親に教えてきたのであれば、それをないがしろにせずちゃんと褒めてやった方がいい。

 

考えさせる

子どものころから自分の頭で考える癖をつけておくことが大切だ。
そのためには子どもが何か疑問を持ったときに、それに共感したうえでその疑問について自分で考えることを促すといいだろう。その際はあせらせずゆっくり考えさせること。
考える疑問はその場では解決できそうにないものでもいい。答えは間違っていてもいい。どんなに馬鹿げた考えに見えてもそれを笑わず考えたことを褒めること。
親が子どもと一緒になって考えてみたりするのもいいかもしれない。

 

本を置く

できれば小さなうちから近くに本を置いておいた方がいい。その本は知的好奇心が刺激されるような本が好ましい。本のレベルは子どものレベルに合わせておくこと。少しぐらいはあえて難しいものを置くのもいいがそればかりだと興味を持ってはもらえない。
図書館に連れて行ったり、本屋で子どもに好きな本を選ばせてそれを購入したりすることも推奨する。私の場合は昆虫の図鑑や宇宙の本などを買い与えられたことにより、自らすすんでそれらについて学ぶようになった。宇宙や自然の生き物に関する本は子ども向けのものは難しい理屈を知らずとも楽しめるのでおすすめする。


読むことを強制してはならない。子どもが自然に読むのを待つべきである。親が何かをするとしてもせいぜい読むことを子どもの好奇心を促進するような形で促す程度である。それでもどうしても読まないのであればあきらめたほうがいい。褒美を与えて読ませるのも適切ではない。子どもが知識を得るためではなく褒美を読むために読書をするようになれば、その褒美が得られなくなったタイミングで読書をやめるだろう。

心理学においては自身が自ら興味を持って行っていた活動に対して報酬が与えられるようになると、その報酬が与えられなくなった時にやる気をなくすという現象が確認されている。

 

子どもに多種多様な経験をさせること

海外留学などのお金のかかることでなくてもいい。私などは子どもの頃に親によく天文台や科学博物館などに連れて行ってもらった。あるいは科学のイベントにも連れて行ってもらうことも何度もあった。今の私はそれらの経験が自身にいい効果を及ぼしていると感じている。

 

子どもの自主性を大切にすること

子どもの自由を大切にしなくてはならない。親が子どものやることを定めるのは最低限に留めるべき。そして子どもが興味を持ったことがあれば親はそれをサポートすること


子ども向け


子どもの内からの行動

何かをするのは大人になってからでなくてもいい。
まだ子どもであっても自分なりに目標を見つけて行動することができる。
生活のための仕事をせずに活動できる貴重な期間を大切にした方がいい。
既に経験が備わった状態で社会に出られることは自身の強みになる。

自ら学ぶ、自ら考える

学校の勉強以外でも自ら何かに興味を持って学んだほうがいい。学びは自身の人生を豊かにする。学校で要求されることや就職した会社で必要になった知識ばかり学んでると視野の狭い人間になる。自分で考えることも大切である。何かについて知りたいとき、まずはじめに自分で考えてみると意外と答えがわかることが多いことに気がつける。読書ばかりが学びの方法というわけではない。


安易に学校で教えられることを学ばないという選択を取らないこと

学校外のことを自ら学ぶことは大切であるが、それは学校の勉強が無意味であることを意味しない。先述の通り学校教育の内容は専門家が子どもの役に立つように設定するものであり、今後その内容はさらに改善されることが見込まれる。それを学ぶことで、学ぶ価値があるが自身ではその価値に気づけないような分野を逃さずに学ぶことにつながり、その学習者に大きな力をもたらすはずである。自分でよく考えた結果その内容が本当に不要であると思うのであれば学ばないという選択肢も考えられるが、私は是非とも学校で教えられることについて学ぶことも前向きに検討してもらいたいと考えている。

国によって教育内容は違うが、少なくとも日本においては現在の時点でも教科書の知識質は案外高いように思われる。テストの点のために記憶しなくていいことを大量に記憶するような勉強が問題なのであり、現日本の教科書に載っていることを学ぶこと自体は悪いことではない。


努力でできることが増える

私は努力をすれば必ず他人に勝てると言ったり社会的な成功が納められると言ったりすることはしない。しかし努力をすればできることが増えるのは事実である。自身に才能がないと感じている人間も安易に努力が無駄だとは思わないほうがいい。努力に加えて考えることも大切にすれば想像以上に多くのことができるようになる。生涯を通して努力をした自分と努力をしなかった自分の実力差は大人と赤子の間にある差以上に大きくなるだろう。