世界平和実現構想+α

世界の平和を実現するための方法を考えます

第二章:学習法

 

 

私は文章を書くのに疲れたのでとりあえずここに学習法の重要なアイデアのみを記しておく。私は悪くない。

 

学習法

何かについて学ぶ際はまず自分で考えるべきである。そしてその後実際に何らかの書籍を読む際にも考えながら読むことが大切である。考えながら学ばなければ応用はできない。自らアイデアを生み出すこともできない。考えながら学ぶことは情報が記憶に定着する効果も促進する。

私の世界の真理の探究の時間は、その内の8割が自分で決めたテーマに関する考察の時間であり、残りの二割は読書の時間である。しかしその読書の時間についてもそのうちのさらに8割は考察の時間である(これはイメージであるのでうのみにしないように。この時間の割合は目指したものではなく結果的なものである。)。

 

人の考察が行われるあらゆる分野は、人の知性という共通の基盤でつながっている。従って、考察を行いながらいくつもの分野を学ぶ人は、ある分野でアイデアを出すことを試みるときにその知性の基盤を通して別の分野のアイデアが送られてくるために斬新なアイデアを出すことができるようになるのである。これは言い換えれば、ある分野を本当に極めたいのであれば、それ以外の分野についても十分な考察を行いながら学ぶ必要があるということである。特定の分野しか学ばずに生まれる発想には限界がある。

 

学習とは情報を自身がアクセス可能な何らかの記録媒体に記録することあるいはその記録された情報を自身が活用しやすい形に編成することである。学習とは脳内に情報を入れることばかりを指すわけではなく、脳外に記録された情報を編成することも学習のうちに含まれる。私は学習の際には情報を脳内に入れることにはこだわらない。私にとって学習とは脳外の記録を編成することが主である。例えばある特定の本を学習する際には、その本から学んだ重要な事実やその本を読む際に行った考察を後に引き出しやすい形でメモにまとめることを学習として行っている。脳内に入れる情報はその際に自ずと記憶されたものが主である。

以上の学習の定義によれば、インターネット上にある知識なども自分の記憶も同然である。私自身が整理せずともある程度検索エンジンなどによって引き出しやすくなった形ですでに記録されているのである。また、自身が話を聞くことができる専門家の脳内にある知識も実質的に自分の知識といえるかもしれない。

とはいえ自分の発想に知識を生かすためには一度脳内に情報を入れる必要があるのも事実である。従って、私は脳に情報を記録する学習を否定しているわけではない。

 

学ぶ際にはその学習対象の大枠や原理を捉えることを先に行うべきである。細かい知識をその意義も分からずに詰め込むべきではない。また、本の目次を読んで全体像を把握することも大切である。

学問を効率的に学びたければ、学問の全体像を把握するように努めること。そして重要なものから順に学ぶこと。全体像の詳細な把握は、知識を学んでからでないと正確に行えないことも多い。学習範囲選定のための学問全体像の把握と、実際の学習は交互に継続的に行っていくべきだろう。

 

知識を検索するための根を世界に張り巡らせると、好きな時に好きな知識を活用できるようになる。私は図書館に行ってちょっと座ることにつかれたタイミングなどに本棚を見て回るようにしている。それにより世界にどのような分野があるのかをよく把握できる。


既に文章化されている知識について、必ずしもそれを読んで学ぶ必要はない。時には自分自身で再生産したほうが早いこともある。

人類の知識量は増大している。ある分野に詳しい人は他者のためにその分野を学ぶ際の経路などを用意するといいかもしれない。その分野の知識の地図を示すことや、わかりやすい解説書などを書くことがそれにあたる。

 

多くの時間をかけて自分の頭で考えて至った真理が、ある本を見ると既に完璧な形で書かれていたということもあるかもしれない。しかしそれで自分の頭で考えたことが無駄になるわけではない。なぜならば自分のあたまで考える過程でうまいこと親密に自分の他の知識と結びつくからである。これはショーペン・ハウアーの読書に関する見解を読んで学んだ考え方である。ショーペン・ハウアーは思慮の浅い者に良著の内容が改悪されることをを嫌っていたようなので、もし興味があるなら原典を読んでほしい(私のこの話は原典から切り取ったものを読んだ感想にすぎない)。

 

読書について

・本の読み方

重要な本は繰り返し読んだ方がいい。二回目以降は前に読んだ時には気づかなかったことに気が付くことができる。後の知識と前の知識の結びつきも起こすことができる。私は私の本を繰り替えし読む価値のあるものであると自称している。この本の些細な文章の一つ一つに多くの人にとって役に立つ知恵を埋め込んでいるつもりである。それらは繰り返し考察を行いながら読むことでより確実に習得できるだろう。

 

読書数を誇るような読書はしてはならない。学校の数学の教科書を進めるのには長い時間がかかるため、それをメインに学習を進めると時間当たりの読んだ本の数は低下する。しかし実力は他の本を読んだ場合と何らそん色なく付くだろう。読書数に囚われると考察を行う余裕も喪失する。

 

本の内容が理解できない場合とはどのような場合だろうか。それは単語の意味が理解できない場合や、推論の過程が省略されすぎてその分野に詳しくない人には理解できない場合があるだろう(本のミスにより致命的な矛盾が存在することもある)。単語の意味が理解できない場合、自力でその意味を推測して、文章の意味が理解できるような意味を探し当てようとする。しかしそもそも本に書いてある情報ではその単語の意味を理解することが不可能な場合もあることを理解しておいた方が良いだろう。あまりに知らない単語が多すぎる場合はより簡単なレベルの本で分からない単語の意味を把握してから読み直すようにした方が良い。

 

・いい本の選び方

図書館の本は司書?が選んでいるので平均的な質が高い。本屋の本は平均の質は低いが最新の本などを手に入れやすい。また図書館にはないものの読む価値のある本というものも存在する。ついでにいえば参考書の類は図書館にはないだろう。

 

本を選ぶ際はその著者、発行年月日などが参考にできる。

優れた本を書く人は、その人の他の本の質も高い傾向にある。

専門機関や評価の高い専門家による本は内容が信頼できる(絶対とは言わない。またわかりやすさは保証できない)

読み継がれる古書は、読み継がれるだけの理由がある本ということなので読む価値がある可能性が高い。ただし、読み継がれる古書であるという事実は読む価値の高さを示唆しても、その分野の教科書として適切であることを保証することはない。最新の科学によって修正が行われている可能性もある。

優れた人が推奨する本も読む価値があるかもしれない(優れた人が必ずしも本の紹介においても優れているとは限らないが)。

 

科学雑誌はお勧めできる。一般人にも先端の科学をわかりやすく教えてくれている。

 

その他

○言語の習得

現時点で私は日本語しか使えないので以下は机上の空論である。

言語の習得は実際に使うことが大切である。私は文字、単語、文法などを一通り覚えた後はとにかく実際に使うことが大切だと思っている。タイピングなどと同じように使えば使うほどその実力は向上していくだろう。使うというのはニュースや自分が興味を持つ分野の本などで行うといいのではないかと思う。

外国語をスムーズに話せるようになるには例文集を何も見ずに暗唱できるレベルで自身に定着させるという方法もありなのではないかと思う。脳内に手早く引き出せる文章の塊があれば、文法を深く考えずともその一部を別の単語に置き換えるだけでその言語を話せるようになるだろう。

 

○記憶術

繰り返し:

体制化:知識を体系立てられた形に整理すると記憶に残りやすい

精緻化:物語付与

生成効果:自分で思いついた知識は忘れがたい。考えながら読むことが効果的なのはこれも理由か。

 

○身体的動作の習得
正確で素早い身体の動作を習得するためには、最初のうちはゆっくり正確に体を動かし、その後徐々に動きを早くしていく学び方がいいような気がする(未検証)
最初から素早い動作を行うと、動作中の動作の正確性を検証するための時間が不足しているので、不適切な動作を修正することができない。そして誤った動作を続けるうちに誤った力の入れ方がより強固に記憶されることになるかもしれない。

身体的動作についてもある程度言語化しておけば後に思い出しやすくなる。

身体を速く動かすときは、わずかな力の入れ方のずれでも大きな動作のずれにつながる。