世界の基礎+α

世界の平和を実現するための方法を考えます

IQという指標は過大評価されている

この記事は書籍「世界の基礎」の一部です。

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私はある人の能力が生まれつきの才能によって定まる側面があることについては現時点では認めざるを得ないと考えている。しかし今の世の中では極端に生まれつきの才能に重きを置く考えが蔓延っているかのように思われるので、それの風潮を修正するためこの項目を用意することとする。例えばIQが高いことが天才であるための必須条件であると捉える動きが世の中に存在するがそれは多くの誤解を生じうる考えである。IQを過信してはならない。


IQは知能の水準を図ることを目的として開発された指数の一種である。ターマン博士は自身の研究において、IQが140を超える児童を天才であると仮定してそれらの児童がその後どのような人生を送るのかを追跡調査した。その結果それらの児童はそれぞれの分野である程度の成功を収めることには成功したが、傑出した成果はあげていないことが判明した。そして逆にIQ140という基準に満たずにその調査の対象とならなかった児童のなかから、ルイス・アルバレズとウィリアム・ショックレーというノーベル物理学賞受賞者がでることになった。このことから、IQが高くても天才であるとは限らないということと、IQが高くなかったのだとしても大きな発見ができないわけではないということが読み取れる。また、同じく著名な物理学者であるリチャード・ファインマンのIQも125である。この数値は決して低くはないが、せいぜい20人に一人いる程度の高さである。

さらに、チェスと知能指数に関する研究では、チェスが強い人の集団内においてはIQによる実力の差が小さくなるという結果が多く出ているようだ。そして、IQの代わりにチェスの練習時間や経験の多さがチェスの能力の高さと相関するらしい。もしかすると、分野によってはIQなどほとんど意味がない指標となることもあるのかもしれない。


私は以上の事実から社会的に大きな成功を収めるのにIQ140を超えるような極端な高さのIQは必要がないと考えている。創造性研究の世界でもIQと研究者としての能力は全く無関係ということはないが、極度の高さのIQは必要ないという考えが主流である。現在IQが高くないことが判明している人も自信を無くさずにやりたいことにチャレンジしてみるのがいいのではないだろうか。IQが高くなくても意外とできることは多い。

ちなみに私はかつて発達障害の診断のために知能検査を受けたことがあるが、それにより自身がASDかつADHDであることに加えて自身のIQがかつてギフテッドであることを判定する基準として多く使われていたIQ130という基準を下回っていることが判明している。しかもその時の診断結果のIQの数値はぎりぎりその130という数値に届かなかったのではなく完全に届かないようなものだった。私のIQはリチャード・ファインマンよりも低い値である。しかし私はその事実により自信を喪失させ自身の能力に足かせをはめるつもりはない。私は自身のIQがさほど高くなくとも適切な思考法を身に着けることで現在までの歴史上の偉人が持つ思考力の大半を獲得できることを確信している。もし極度に高いIQがなければできないことがあるとすれば、人類の科学が発達しすぎたことにより科学の先端に到達することすら一生かけないとできないような状況になったときぐらいだろう。

 

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