この記事は書籍「世界の基礎」の一部です。
※この章の内容は私自身の執筆時間の不足によりそのままの形で活用することは難しくなっている。読者が実際に学習を行う際は、この章の内容は参考程度に留め、自分自身で体系的な学習法を考えるようにしてもらいたい。
学習とは何か
学習とは自身がアクセス可能な何らかの記録媒体に情報を記録することあるいはその記録された情報を自身が活用しやすい形に編集することである。もっと言えば、脳内に情報を入れることばかりではなく、脳外に記録された情報を編成することも学習の内に含まれる。私は学習の際には情報を脳内に入れることにはこだわらない。私にとって学習とは脳外の記録を編成することが主である。私が自身にとって重要である特定の分野を学習する際には、「学習対象の分野について自ら考え、情報収集を行い、その結果を電子メモに体系的にまとめること」や「学習対象の分野に関する優れた書籍を発見及び購入し本棚に整理された形で配置すること」をしているが、それらの内容の記憶を意識的に行うことはない。また、特定の本の内容をより活用しやすい状態にするために、その本に書かれた重要な事実やその本を読む際に行った考察を後に引き出しやすい形でメモにまとめることを学習として行うこともある(※1)が、その過程で脳内に記録する情報はその際に自ずと記憶されたものが主である。
ただし、誤解のないように補足しておくが、自分の発想に知識を生かすためにはそれを一度脳内に入れておく必要があるのも事実であるため、私は脳に情報を記録する学習を全否定しているわけではない。時と場合によっては特定の知識を意図的に脳内に入れることも必要となる。例えば、外部記録の内、自身の発想のためにその内容が自ずと脳に浮かぶようにしておくことの必要性が高い部分については、その内容を考察し理解することで、積極的にその部分に関する情報を脳に記憶している。そうすれば、何かについて考える際にその部分の情報が発想に貢献する可能性は高まり、その部分の情報が必要となったがその内容を明確には覚えてないときにもそれを再度外部記録を参照して引き出すことが容易となる。
※1:本が既に事実を体系的かつ無駄がほとんどない形でまとめているのであれば、私が行うのは自身の考察のまとめだけであり、本の内容そのものを自身が改めてまとめることはしない。
・外部の存在によって行われる学習
以上の学習の定義によれば、インターネットや本の上にある情報は既に学習済みの自身の知識も同然である。それらは学習者本人が整理せずとも既にある程度引き出しやすくなった形で記録されているのである。また、自身が容易に相談をすることができる専門家の脳内にある知識も実質的に自分の知識といえるかもしれない。
・自己の外部の知識の効率的な活用
知識を検索するための根を世界に張り巡らせると、好きな時に好きな知識を活用できるようになる。私は図書館に行ってちょっと座ることにつかれたタイミングなどに本棚を見て回るようにしている。それにより世界にどのような分野があるのかをよく把握できる。
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