世界の基礎+α

世界の平和を実現するための方法を考えます

知識の再生産について

この記事は書籍「世界の基礎」の一部です。

kanayamatetsuya.com


・理論の再発明は無意味ではない
自身が時間をかけて何らかの真理を発見した後それが既に他者によって発見されていたことに気が付いたのだとしても、自身の行いが全く無意味なものであったと考えて落ち込む必要はない(※1)。なぜならば、自力で既存理論の再発明を行った場合は他者からそれを学んだ場合には得られなかった利益を得ているからである。

その利益の具体例としては、既存理論の要点以外の情報をより広範に把握できることがあげられる。他者によって執筆された本や論文から既存理論を学んだだけの者は、それらの著者が重大ではないとみなして省略した情報を把握することができないのに対して、自身で既存理論を再発明をしたものはそれらの省略された情報についても手にしている可能性が高くなる。例えば、誰かが優れた制度を考案しそれを解説する本を公開したとき、その人がその制度を考える途中で思いついたその人自身は優れているとみなさなかった制度については、文量の過大化を防ぐためにもその本に載せられていないかもしれない。しかし、その人が考えた優れた制度を自力で独自に思いついた者はその過程でその本に載せられなかった制度も把握しており、それによってその本で省略された制度が秘める未知の可能性に気づくことが容易となるのである。そしてそのことは当然、既存理論の再発明者がその分野についてより詳しい知識を持っていることを意味し、特にその人が抜本的に世界の理論をより最適化された形に再構築しようとする場合、その人には大きなアドバンテージがあることになる。

また、上記以外の利益としては、単に探究の楽しみを得られるということがあげられる。そもそも自分で世界の真理を発見することはそれ自体が自身に楽しみをもたらすものであり、それもまた理論の再発明が無意味ではない重大な理由の一つである。


・再発明が効率的である場合
既存理論が体系的に保存されていない場合、それを調べることに必要な時間が増加する。そしてその場合、自分で既存理論を再発明した方がより短い時間でその理論を把握できることがある。

 

※1:残念ながら真理探究の上で効率的ではないことぐらいはある。

 

 

<<前の記事|一覧|次の記事>>