この記事は書籍「世界の基礎」の一部です。
大学受験制度の改革においては、受験手段の多様化や受験競争の緩和が目指されるべきである(※1)。テストの点が低くても高い潜在能力を持つ人や学習意欲の高い人もいるが、その人たちを切り捨てないようにするべきである。また、原則として受験のための勉強はすることを避けるべきものであるので、若者に多くの時間を受験勉強に割かせることにつながる制度も改めなくてはならない。そしてそれらの目的を達するためには、少なくとも当面の間はAO入試の拡大及びその手法の高品質化を目指せばいいだろう。AO入試とは、「学校外における活動の評価」「書類審査」「時間をかけた面接」などによって、受験生の能力や意欲を総合的に判断する入試方法である。それを取り入れることにより自身の活動に熱中して学校の勉強に多くの時間を割かないような生徒でも大学に合格することが容易くなる。テストの点による評価方法の方が得意な人間もいるかもしれないのですべてをAO入試に置き換える必要はないが、とりわけまだ選抜におけるその割合の少ない国立大学等においては今よりもそれを拡大するように努めることが好ましい。
ただし、以上のAO入試に関する方針は短期的なものに過ぎない。長期的に見れば、日本社会はそもそも受験制度自体を廃止することを目指さなくてはならない。若い世代に受験のための努力をさせるべきではない。仮に大学に入ることを希望する者に何らかの試験や条件を課すのだとしても、大学の授業についていくための最低限の能力があることが確認できたのなら合格させるのが理想である。今の日本の高校生は、大学に合格するために高校生の早い段階から多くの時間を学校の勉強に割く羽目になっている。だが、その暇があったらもっと自分でやると決めた活動をするようにした方が良い。もちろん受験を存続させることにはまったく正当な理由がないというわけではないだろう。大学の定員を超える応募があった場合には入学者を選別するために何らかの試験を課すのが好ましいかもしれないし、試験を課すことで大学の授業についてこられる者だけを入学させることができる側面もある。しかし私はそれらの現実を踏まえたうえでやはりできる限り日本の教育システムは受験競争を極力回避する方向に転換したほうが良いと考えるのである。
・受験競争を緩和する方法
受験競争を緩和するには大学間の格差を減らす必要がある。どこの大学に入っても十分に高度な教育や支援を受けられるのであれば、特定の大学に入るために過度な努力をする必要性は小さくなるだろう。地方の大学の質が向上すれば自ずとそこに向かう受験生が増えるので、地方創生の効果にも期待できるかもしれない。また、受験競争を緩和するには社会が変わる必要もある。企業は学生を採用する際に学歴でその人を評価してはならない。社会が学歴で見るから就職のために高いレベルの大学に行こうとする者が増えて競争率が高くなる。その結果本来その大学に行くのにふさわしい人(その大学で行われている研究に興味のある人間等)がそこに行けなくなるのである。私はもし今後起業をして誰かを採用するのだとしても大学名でその人を判断はしない。その代わり何をやってきたかをできるだけ嘘が通用しないように対策した上で説明してもらうつもりである。良い企業に就職をしたい人は付け焼刃の努力をするのではなく、普段から何かについてよく考えよく学んでおかなくてはならない。
・個人的な要求
以降は私のただの願望である。私は二浪の上で国立大学の物理学科の中でも最も入りやすいと思われるところを受験して不合格となっている。そのときのセンター試験あるいは共通試験での得点率はぎりぎり五割を超える程度であった。また、その時の私は何か実績を証明できるような活動を行っていたわけではなかったので、仮にAO入試を受けていたのだとしても不合格になっていたと考えられる。しかし私は研究者としての才能も意欲も十分にあるはずである。できることならそのときの私があと少し努力すれば学費の安い国公立大学に入れることになるような制度にしてもらいたい。
※1:これは、教育格差の拡大を阻止することではなく、若い世代が受験のための勉強をさせられずに済むようにすることが目的である。教育格差の拡大の阻止は、大学間の教育のレベルの差を最小限に抑え、大学に入ろうとするもの自身が不必要により優れた大学に行こうとするのをやめることによって達成する。
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