世界平和実現構想+α

世界の平和を実現するための方法を考えます

悟るとどうなるのか【痛みに耐えられるのか、自分は消えるのか】

この記事は書籍「世界の基礎」の一部です。

kanayamatetsuya.com

苦しみからの解放の限界

結局のところ思考も執着も欲もどこまでいっても完全に消せるようになることはない。苦しみから完全に逃れることはあきらめたほうが良いだろう。それに拘る者は逆に不幸を増幅させることになる。

・痛みについて
悟っても痛みを感じなくなることはないし、痛みに耐えられるようになることもない。しかし痛みを感じたり痛みに苦しんだりしてもその事実に動じることはないし、それらに動じたとしても今度はその事実に動じないのである。あるがままとはそのような状態のことを言うのである。

・精神的な強さについて

悟れば苦しみは減るが精神的に強くはならない。

悟った後の自己

悟った後でも「私」なるものを作ることはある。それは生きる上であったほうが都合がいい概念だからである。しかし悟ればあくまでそれは自身が作り出したものであるということを理解するだろう。

悟りと人格

ある人が悟ったとしてもそれだけでその人が人格者になるわけではないため、その人が道義的に誤ったことを言ったり行ったりする可能性は依然として存在し続けるだろう。また、悟れば過剰な執着は持たなくなりそれゆえに他者との対立も減少することはあるかもしれないが、それだけでは他者を大切にする心を持つことにはつながらない。それを持つためには自ら悟りとは別の努力をする必要がある。そしてその努力は他者のためにもなるがそれ以上に自身のためにもなるだろう。

言葉に囚われない人

悟りと呼ばれるそれを得た人は、自身の考えの整合性を保つために肯定するべき考えを否定することが減り、自身が持つ複数の良い考えの間に矛盾が生じる場合には、労力をかけてでもそれを解消した理論を新たに構築するべきであればそうするが、そうでなければ矛盾する考えをそのまま内包するのである。また、そのような人は矛盾のない理屈を作ることにも逆にそれを作らないことにも囚われず、矛盾を受容していいという考えを根拠にして矛盾した理屈の正しさを証明したりすることもない。

 

 

 

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