この記事は書籍「世界の基礎」の一部です。
経典について
仏教の経典は盲信するべきものではない。中には女性は悟れないなどとの教え(これは釈迦の教えではない)が含まれた経典を信じる宗派があり、その宗派に属する人がその教えの解釈に苦戦するということもあるようだが、それは経典の教えに執着するからこそ生じる苦しみである。仏教の開祖である釈迦ならばそのように特定の経典や教えに固執する行為については必ず否定するだあろう。経典が間違っていればそれは修正されるべきだし、釈迦が間違っていたらやはりそれも修正されるべきである。誤った教えに囚われてはならない。
また、経典は釈迦が直接書いたものではないし、今後釈迦によって書かれたとされるそれが現れてもそれが事実かどうかは当時に生きていない我々にはもはや判断が不可能である。
宗教について
私は仏教の自身とは違う思想を持つ宗派や他宗教を決して侮辱しない。また少なくとも日常生活の上ではそれらを積極的に否定してまわるつもりもない。ただし、宗教家の中には宗教の教えを根拠に道徳的に誤っていると思われる言動を行う者はいるのでその人に対してはその行為を控える在り方を模索することを求めるし、過激な宗教を抑えるために本当に必要であればやむを得ずその宗教を信仰しないことを促すという可能性はあるが、それについては受容してもらいたいところである。その代わり私の仏教に基づいた行いに問題があると指摘する者がいるのであれば気を悪くせずに受け止めるつもりである。
そして、宗教を信じる者は宗教がなければ迫害されなかったはずの人が迫害されることの無いようにするべきである。世界に広く普及している宗教においては大概他者を大切にすることを求める教えが含まれるものであるが、私はその教えと他の教えが衝突する場合は前者の方を優先すればよいのではないかと考えている。
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