世界の基礎+α

世界の平和を実現するための方法を考えます

非生物への慈悲

この記事は書籍「世界の基礎」の一部です。

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慈悲は非生物(物や現象がそれに当てはまる)に対しても持っておいた方が良いものである。しかしそこで問題となるのは非生物には現状幸福も不幸も生じ得ないと考えられることから、それらの不幸の解消や幸福の実現を願うような形の慈悲は持てないということである。

私はその問題に手っ取り早く対処するためには、宗教的な手法となるが「世界の全てのものには神が宿っている」あるいは「世界の全てのものは神そのものである」と捉えると良いのではないかと思う。そのような認識を持てば非生物に敬意を払うと同時に、それらに対して嫌悪や怒りなどの攻撃的な感情を持つことをそうすることの畏れ多さから控えるやすくなるはずである。また、私は以上の考えを神道に近い形で持っている(※1)が、一神教的価値観に親しい者であれば、世界の存在は何であれ神の一部あるいは神自身が作ったものであるということを意識するのも良いだろう。そのような認識を持てばやはり非生物に対して憎悪の念などを持つことはできなくなるはずである。そして以上のような認識を持って非生物への慈悲を持ち続けていればやがては純粋な慈悲をそれらに向けられるようになる可能性もあるだろう。

ただし、非生物への慈悲を持つということはそれらを排除しないということと同一ではない。例えば私は殺人という現象にもまた慈悲を持った方が良いと考えるのだが、当然それが殺人を存在させることの肯定に繋がってはならないのである。私が言いたいことは悪しき現象を排除するなということではなく、それを憎悪の気持ちから行うなということである。それは自身や他者の不幸の解消や幸福の実現を目指そうという気持ちから行われるべきである。

補足:自身や他者にとって実害はないが、自身の価値観からどうしても避けたい何かがある場合には、その動機となる程度にそれへの嫌悪を残すことはありかもしれない。

※1:私は神道の価値観の一部を取り入れているだけでありその信者であるわけではない。神道は世界の一地域に過ぎない日本という場に特別強く結びつく側面があり、ときには日本のナショナリズムと結びつくこともあるので、私は他者にそれを信仰することを推奨はしない。

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