この記事は書籍「世界の基礎」の一部です。
自身にとって無条件に大切であり絶対に嫌うことのできない存在(例えば自分の子どもなど)が複数人いたとしよう。このときその内の一人が別の一人を極めて残虐な方法で痛めつけたり殺したりしたとしても、自身はその人を憎むことはできずただ悲しむだけである。もちろん被害を受けた者の苦しみを和らげたり将来に新たな被害が生じるのを防いだりするためにも、罪を犯した者に何らかの罰を与えなくてはならないことはあるだろう。しかしその際も罰は加害者への怒りからではなく、誰かの幸福の実現や不幸の回避を願う気持ちから与えられるのである。
また、同様に自らが大切に想う存在の中からそのうちの別の者に対して罪を犯した者が現れ、なおかつその罪が死に値するほどのものである場合でも、私はその人をその罪に釣り合う罰を与えるために殺すことなどできない。自身が加害者に与えるものとして肯定する罰は、被害者のその人を罰したいと思う気持ちがどれほど強くとも、自ずと残虐でない範囲に押しとどめられるのである。そしてその代わり、被害を受けた者の苦しみは、道徳に反さない範囲であらゆる手段を用いて解消が試みられることになるだろう。もちろんその際には労力をかけることは惜しまれない。
真の慈悲とは万人に対してそのような態度で接することである。
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