この記事は書籍「世界の基礎」の一部です。
・競争に勝たなければ生きていけない社会では誰も安心して休むことができない。我々は競争に勝たずともある程度の努力さえすれば十分に幸福に生きられる社会を実現するべきであり、そのための制度を考えるべきである。
・誰しも競争の敗者になりうる。競争に敗れることが不幸に直結する社会にしてはならない。
・貧困や労働環境の悪さにより心の余裕を失うものが増加すれば、政治において冷静さを保てないものも増加する。人々は自身の周囲の環境のみならず他者を取り囲む環境についても良い状態に保つように努力するべきである。
・贅沢をすること自体は悪ではない。しかし贅沢をする際には他者の生活水準や環境問題に配慮してその程度が過度にならないように注意するべきである。
・世界に存在する格差について、全てを努力のせいにするのも全てを運や環境のせいにするのも間違っている。いずれの立場も極端になれば問題を生じ始める。両方のバランスの取れた考えを持つことが大切である。
・現在大きな富を築いている者について、多くの場合その裏にはその人自身の大きな努力があったことを社会は認めるべきである。しかし一方で多大な富を持つ人は過去の人類の遺産や現在の他の多くの人々の働きがなければその成功がなかったことも理解しておくべきである。
○格差を容認するための条件
格差を容認する際には少なくとも以下の条件が満たされるべきである。それらの条件を満たすことは万人に共通の真理あるいは善というわけではないかもしれないが、成熟した民主国家においては自ずと格差の存在を許容すると同時にそれが目指されるようになるだろう。何故ならばそうすることは人々により多くの幸福をもたらすことに繋がるからである。
・全ての人々に十分に高いレベルの生活を保障すること(なお、この「十分」がどの程度であるのかについては現在の私に明確にする力はないためこの場では語らないものとする)。
・階層の固定化を防ぐこと(階層が固定化され資産を築き上げる自由が一部の人にしか保証されないのであれば、自由の確保という名目で格差を容認することはできない)。また、より多くの人により多くの成功のための機会を提供すること。
・民間の個人や組織の力が十分に国家の力を下回ること(民間の個人や組織が極端な力を持つことは民主主義の破壊につながりかねない。従ってそれらの持つ力には制限が設けられるべきである)。
○お金以外の資産
私はかつて世界一の資産を持つことを目指していた。そして金持ちから大きな税を取ろうとする政策は未来の私から資産を奪うものに感じられたので、その時の私はそれに対して強い不満を感じていた。しかし今ではそのような気持ちを持つことはなくなっている。なぜならば税を取られることは自分のお金という資産が社会の安定という資産に置き換わることであり、それはただ単に自信の資産の構成が少々変わる程度のことに過ぎないといえるからである。人々は自分の資産には自身のお金以外のものも含まれることに気が付くべきである。世界の平和も自身の資産のうちと考えれば自分の富を世界のためにつかうことにも抵抗はなくなるだろう。
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