世界平和実現構想+α

世界の平和を実現するための方法を考えます

慈悲を持つ方法

この記事は書籍「世界の基礎」の一部です。

kanayamatetsuya.com

○個人的な見解

私自身現時点では慈悲を十分には身に着けていないため、今の私によって書かれた以下の方法は今後さらに改善されることが望まれる。

・他者の不幸の解消を心から求めるためには、その人が持つ不幸をよく認知するようにすれば良い。そして、その際には相手の持つ苦しみの内容とその原因をより詳細に把握するように努めると、その苦しみを自身のものとすることが容易になる。

・他者の幸福を願うにはその人の内部にある幸福への渇望を想像すると良い。相手は幸福を得たくて得たくて仕方がないのであり、相手はその望みが満たされないことで今まさに苦しんでいる最中である。その事実をよく認知すれば相手の幸福が実現された時には自身も安心できるようになるだろう。

・自身や他者の幸福の実現や不幸の解消は道徳に反さない形で行われるべきである。もし、よからぬ方法でそれらを達成しようとする者がいるのであれば、それ以外の者の不幸を防ぐためにもそれを正さなければならない

・慈悲というのは容易には自身に定着しない。もしそれを確実に自己のものとしたいのであれば、適切な頻度で慈悲の念を他者に向けるために自分自身の心の内を見つめなおすようにするべきである。

・慈悲の気持ちを持つためには、不幸な人がいる場合に実際にその苦しみを取り除くための行動を起こすようにすることも大切である。慈悲は行動を伴うことで確固たるものとなるだろう。ただし対象を逆に苦しめる自己満足に過ぎない行動は起こさないようにするべきである。

・常に自身の言葉に相手を傷つける棘がないかに注意を払い、もしそれがあるのであればそれを取り除く努力をするべきである。それを怠るとそれにより生まれた隙から慈悲が崩れることになる(ただし、これはあくまでも自分自身に求める行いであり、細かい気遣いについては他者にそれを強いてはならない。まさにいま私が行っているようにそうすることの推奨についてはときに行うこともあるが、それも他者に対する押しつけにならない範囲に留めるべきである)。

・慈悲は無理して持たなくても良い。例えば、自身や自身が大切にする存在が極めて重大な損害を害意を持つ他者によって与えられた場合には、まずはそれらの被害者の精神的な傷を癒すことを優先するべきであり、無理に加害者に対して慈悲を持とうとしてその傷を広げる必要はない。先ほどの慈悲に例外を作らない在り方はあくまで理想であり義務ではない。

・自身に対して罪を犯した者を自身が納得できないうちから無理にゆるそうとする必要はない。どうしてもゆるせない人がいるならゆるさないと決めてしまうのも一つの選択肢である。ただしその場合も復讐として正当でない攻撃を罪を犯した者に加えることについては後の自身が自らの罪に苦しまないようにするためにも避けるべきである。

補足:ここでいう「ゆるす」とは罪を犯した者に対して「恨みや怒りの念を抱くのを辞めること」を意味する。それらの気持ちを持ち続けると決めた場合は、相手に対しては完全な慈悲は持てないが、それでもある程度の慈悲を持つことはである。また、時には「謝罪や償いを求めることの放棄」をゆるしということもあるかもしれないが、それをすることは慈悲を持つ上で必須というわけではない。ただし相手に求める償いは適切な範囲に収めなくてはならない。

○慈悲の瞑想について

以下の見解はチベット仏教や上座部仏教の教えに基づく。

 

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