世界の基礎+α

世界の平和を実現するための方法を考えます

自称在野研究者の人生における方針及び戦略まとめ

kanayamatetsuya.com

以上は私が執筆した書籍の内容です。無料で読めます。

以下は私が自己満足のために書き上げた自身の方針をまとめた記事です。あまり読む価値はないです。

 

前書き

この記事は著者である私が自己満足のために執筆した、私自身の今後の人生の方針や戦略をまとめたものである。この記事には私なりに練り上げた世界の真理の探究や創作活動に臨む際の理想像が解説されている。もしこれを読んでいる人の中に私と同じように人生全体を通して真理の探究や創作活動を行おうとする人がいるのであれば、この記事を読むことで何かを得られる可能性はある。しかし、その内容の質の高さは保証できないため、私は誰かにそれを購入することを推奨はしない(この記事の内容はいずれ有料書籍にする可能性がある)。私はこの記事の執筆にあたっては、既に執筆した書籍「世界の基礎」(ちなみにこの本の内容はブログで無料公開されているが、ほとんど読まれたことがない)と同様に文章の推敲には時間をかけずただひたすらに自身が有益と考える情報を書き連ねるだけとする。

 

人生全体の目標及び方針

目標について

私には目標が二つあり、片方は主たる目標、もう片方は副たる目標である。私の主たる目標はありきたりなものであるが私自身の幸福である。自身に配偶者や子どもがいる場合そちらの幸福を更に上位の目標としても良いと思うが、現状そういった家族を持つ気はない。また、副たる目標は他者の幸福である。


私には発達障害がありかつては極端な思考をすることしかできなかった。その時の私はもし自身の複数の目標の間に優先順位の差をつけ特定の目標をもっとも重要な目標とするのであれば、重要度が二位以下の目標のために活動することはなくなるのではないかと考えていた。なぜかというと、かつての私にはより優先順位の高い目標があるのに一時でもそれ以外の目標の達成のために活動することは、結局その時間にあらかじめ定めた優先順位を守っていないことになるため事前に定めた目標の優先度と矛盾するように思われたからである。以上の理由から私は世界の真理の探究という目標を至上の目標とするのであれば他の目標を捨ててそれのみのために活動する以外に選択肢はないと思い込んだ(ちなみに、他の目標を真理の探究という目標と同位の目標にすることは私の価値感情からはあり得なかった)。しかし、今ではそのように極端な思考に陥ることはない。何故ならば、優先順位に差のある複数の目標を持つことが不可能ではないことを理解したからである。

自身の配偶者の幸福を至上の目標とする人であっても、ときにはその配偶者の損失を受け入れ他者の利益を追求することがある。例えば、その人が「自身の配偶者が今晩だけ本来よりちょっとだけ美味しいものを食べることができる未来」と「今まさに死にかけている自身とは無関係な子ども一人の命が救われる未来」のどちらかを選べたといわれたとき、その人は後者の未来を選択する可能性が高いだろう(面倒なので社会的な制裁については存在しないこととする)。そして、そのような選択がされたとき、その人は自身の配偶者より他人の子どもの利益を優先したといえるが、それはその人がその時だけ自身の配偶者を他人の子どもより大切に思ったことを意味するのではない。その人は自身にとっての優先順位を維持したままそのような選択をしたのである。

そのようなことができる理由は、誰かが何らかの利益を得るという出来事の評価値が、利益を得る人の重要度のみで定まるわけではないからである。人は内心でそのような評価値を算出する際には、利益を得る人物の重要度に得られる利益の内容ごとに定められる係数を掛け合わせるのである。もし存在重要度が10の人と1の人が存在し、前者に係数0.1の利益が、後者に係数10の利益が生じるのであれば、最終的な出来事の評価値は1と10となる。従って、先述の例では、配偶者を最も大切にする人であっても、その人が利益を得ることの評価値が他人が利益を得ることの評価値を下回ったのである(参考:実際には人は何かの大きさを認識するとき、その概念的な大きさの変化に比例する形で感覚的に認知される大きさも変化させられるわけではない。従って、現実の内心計算では以上の数式がそのままあてはまるわけではない。なお、心理量の認知は対数だという情報をどこかで見た気がするがどこの情報なのかは忘れた)


以上と同じ原理で、私は優先順位の違う複数の目標を同時に持ち、その達成を目指すことができる。例えば、最も重要な目標である「世界の真理の探究」の重要度を5、次に重要な目標である「他者の幸福」の重要度を1に設定しておけば、前者の目標が基本的に優先されることになるが、前者に係数0.1の利益をもたらす行為をするか後者に係数1の利益をもたらす行為をするかを決めなくてはならなくなったときに評価値が0.5と1になり自ずと後者のための行動が優先されるようになるのである。そのことを理解した私は、ついに自身の真理の探究より他者の幸福を優先するという選択を、理性によって納得のできる形で選ぶことができる状態になった(感情的にはもともと残虐さのある研究は研究対象に対する同情からできないかもしれないとは思っていた)。

ただし、誤解を受けないために補足するが、実際の私は自身の幸福という目標に他者の幸福という目標に設定する以上の重要度を設定するだけにとどまってはいない。私は他者の幸福の追求をする際には自身の行動に自身に致命的な損害をもたらしてはならないという制限を定めている。単純に自身の幸福という目標に他者の幸福という目標より大きな価値を設定するだけでは、係数しだいでは自身に致命的が損害が生じる選択をするべきだという計算結果が発生することになる。私は基本的にそのようなことを望ましいとは思っていない。従って、私は先述の制限を設定することによってそのような事態になることを回避しているのである。とはいえ、私の人生の方針をまとめたメモには更に但し書きとしてどうしてもというときは自身に致命的な損害が生じることを受容しても良いという記述が存在する点には注意が必要である。

 

方針

ここまでのことから私の目標は自身の幸福であり、次に他者の幸福であることが明らかとなった。次に考えなくてはならないのはそれを実現する際の方針である。私は自身の幸福を実現するために、「世界の真理の探究」「創作活動」という手段を用いることにした。また、そのことを踏まえて、私は自身の人生において以下の活動を行うことにした。

◇メイン活動
・世界の真理探究
・真知性獲得(自らの知力の向上と精神を成熟を目指す)
・創作活動
・娯楽あるいは幸福
食事、風呂、睡眠、家事等の日常生活に関してはこちらに含める
◇サブ活動
・計画
・生存努力及び世界平和

メイン活動とは主に自身の幸福を達成するための活動であり、サブ活動とは主に「自身の生存及び活動の基盤の確保」と「他者の幸福」を実現するための活動である。ただし、メイン活動とサブ活動のいずれにせよ完全にどちらかの目標のみを達成するために行われるわけではない。サブ活動も実際には自身の幸福に寄与しうるし、メイン活動の探究が自らの生存や他者の幸福につながることもある。

本著の後の部分では以上の活動全般で採用される方針を示した後、それぞれの活動内での方針を具体的に解説する。

 

小方針

以下には私が私自身に対して定めた自身の活動全般において守るべきルールを一覧化して示す。これらのルールの内には自分自身の好みや精神的特性から定められたものがあり、必ずしも戦略的に正しいルールではない。


◇自己を律する
執着は一切持たず、欲は最小限にとどめることを目指す。慈悲の念を常に持つように努める。特別な事情がない限り心の平静さを保ち、最適な行動を考え選択することに徹する。


◇自己の存在の隠蔽
自身の本体が社会的に認知されることを避け、万が一それが破られた場合も表に出ることは最小限にとどめる。社会に知られることは特にそれを受容しなくてはならない理由のない私にとっては負の財産である。ただし、私本体との直接的なつながりのない架空の人格として社会に知られることには特に問題がない。


◇社会に対する不干渉、余計な問題に関わらない
社会で生じる出来事にむやみに関わらないようにする。社会で起きた問題の解決に動くのは、それが自身の利益のために明らかに必要な場合や道徳的観点からそれを解決する必要がある場合に限られる。


◇争わない
争いが生じた場合は基本的に相手に譲る。ただし、相手に譲った場合に自身に大きな損害をもたらしうる対立においては、安易には相手に譲らない。


◇自身のペースを逸脱しない&その条件を破らない範囲で徹底的に効率化する
私は大切なものが疎かになったり心身に微細とは言えないほど大きな負担がかかったりするような活動は、自身の目標のためであっても原則として行わない。更に、私の中では心身に負荷がかからなさすぎることで逆に大きな苦痛がもたらされるような状態も不適切であるとみなされる。

また、以上の条件を満たす範囲内においては自身の行動の効率化は徹底的に行うこととする。私は何度か効率を突き詰めない選択も考えたが、自堕落になりすぎそうな気がしたのでやめた。ただし、自身のペース内での活動という制限により極度の効率化は行われない。


◇致命傷を避ける
致命傷を受けるリスクを徹底的に避ける。それが守られている範囲では大胆に行動しても良いかもしれないが、私はその範囲においても更にむやみにリスクを取ることを避ける。何故ならば私は基本的に平穏を好むからである。なお、死のリスクであっても生じる可能性が極めて低い場合、それは致命傷を受けるリスクの内には入らない。


◇迷っているうちは何もしない
私は何もしないという選択肢を含む複数の選択肢があるとき、どれを採用するかについて迷いが生じているのであれば何もしないという選択肢を選ぶ。なお、明らかにどの選択肢が最適かを見抜く必要がある場面では、それを見抜くために考えるという選択をすることに迷いは生じない。もしそこに迷いがあるのであればそれは考え過ぎである。

 

計画

この時間には人生全体における目標や方針の決定し、各種の計画を立てる。この時間に立てられる計画には一日計画、週計画、短期計画、中期計画、長期計画がある。

・一日計画
毎日の計画

・週計画
毎週の計画。実際にはこの計画を立てることは忘れられることがほとんどである。

・短期計画
週計画より長く中期計画より短い計画

・中期計画
数か月から数年程度の計画

・長期計画
人生全体の計画

「人生の目標及び方針の考察及び決定」と「週計画以上の計画」は基本的に次に触れる準休日の午前中(延長されることもある)に行われる。また、毎日計画は毎朝立てられるが、その際には準休日に定めた方針や計画を参考にする。

 

○世界情勢の把握
人生の方針や中長期の計画を考える際には、そのために把握しておかなくてはならない世界全体の動きについても把握する。


○休日、準休日、平日、祝日
私は現状極めて時間の自由が利く状態にあるが、自主的に休日、準休日、平日を設定して活動している。

◇休日
一週間のうちの一日休日として扱われる。休日は休日を形骸化させないため仕事をすることは禁じられている。現状この時間はアニメや漫画等の創作物鑑賞やゲームに使われているが、将来的には旅行などに使われる可能性がある。

休日は消費せずにスタックすることも可能である。その場合本来休日であった日は平日となるが、その代わり後に好きな日に平日を休日に置き換えることが可能となる。スタック可能数には12日という上限があり、常に4~6日程度は残しておくことが求められる。

休日と次の準休日を合わせて週休二日であるが、それが過剰な労働を招くことはない。何故ならば平日の活動も大半は私の趣味の時間であるため、実際には休日に近いからである。


◇準休日
準休日は先述のとおり人生の方針の決定や各種の計画を立てることが行われる。また、この日は平日の間に終わらせるべきだったが終わらなかった作業を処理することにも使われる。余った時間は創作物の鑑賞などに使うことができるが、平日に欲に負けて娯楽に走った場合この時間はその埋め合わせのために使われることになっている。


◇平日
平日には主に「生存努力及び世界平和(以下では仕事として扱う)」「世界の真理探究」「真知性獲得」「創作活動」が行われる(娯楽や計画は休日や準休日に行う活動である)。それらの時間配分は一応以下のとおりに定められるが、自身や自身を取り囲む環境の変化によって戦略的に柔軟に変化させることが重視されている。


基礎生活時間(合計12時間)
8時間:睡眠
4時間:散歩風呂食事

予備(合計2時間)
2時間:毎日の計画、昼寝、予備として消費される

活動時間(合計10時間)
仕事:3時間
創作活動:2時間
世界の真理探究及び真知性獲得:5時間


・実際
平日は基本的に娯楽などをしないことになっているのだが、正直なところそれが守られることはほとんどない。何故ならば私はゲームなどの誘惑に弱いからである。その結果本来毎日10時間以上は存在するであろう活動時間が平均4~5時間程度となっている(図書館などに早い時間帯から行くことに成功した日は7~8時間程度は余裕で食事も忘れて勉強することができるのだが、図書館に行く気がおきなかった日にほとんど勉強しないことによって一日の勉強時間の平均は大きく下げられている)。また、多くの場合、以上の時間配分は守られず、その日たまたま興味を惹いた特定の作業に一日の活動時間のほとんど全てを消費することになる。これらの問題は解決したいと考えているのだが、現状良い解決策は見つかっていない。書籍「世界の基礎」に載せた方法は確かに勉強時間0という問題を解決することはできたが、以上の時間配分を実施できるようになるほどのものではなかった。


◇祝日
現在この制度は導入していないが、将来的には毎月二日ほどの祝日獲得権(これも後に残しておくことができる)を自身に付与し、一年のうちの好きなタイミングでそれを行使することを検討している。特に金銭的な余裕が生じ、旅行などに行くことが可能になった場合は休日だけだと時間が不足する恐れがあるため導入される可能性が高くなる。

 

生存努力及び世界平和

「生存努力及び世界平和」の時間には、「自身の生存及び活動の基盤の確保」と「他者の幸福」を実現するための活動である。これらの活動は自身の中では「仕事」とも呼ばれている。活動の基盤の確保とはメイン活動を行いやすくするための環境を整える活動のことであるが、具体的には真理の探究等のメイン活動を行うために必要な資産や情報収集網を構築することなどがそれに該当する。

それらの活動はあらかじめ定められた一定の時間の中でしか行ってはならない。その一定の時間とやらは状況に応じて設定しなおすことがあるものの、その際にはその時間が人生の総活動時間内において過度な割合とならないようにすることが求められる。もし、その条件を守りながらの活動では解決できないような問題があったのだとしても、その問題をその条件を破ってまで解決しようとしてはならずただ成り行きに身を任せるべきである。

また、義務や責任あるいは期限の伴う仕事は極力引き受けないようにしなくてはならない。私自身は極めて自堕落で不注意の多い人間であるため、そのような仕事を多く引き受けることは自滅行為である。


具体的仕事内容

私が仕事として行うのは主に以下の活動である
・ブログや書籍による情報発信とその収益化
・「世界の真理探究」「真知性獲得」「創作活動」等のメイン活動の収益化
・メイン活動補佐
・各種資産の構築
・上記活動のみでは生活できない場合の最低限の生活の確保

 

・ブログや書籍による情報発信とその収益化
世界の平和を実現するためには人々が社会を良くするための力と情報を持つことが必要である。私はブログや書籍による情報発信によってそれを促進する。そして、私は今後少なくとも四冊の本を出す予定であり、そのうちの一冊は既に公開された「世界の基礎」である。これらの本は優れた情報を社会に広く普及させることが最大の目的であるため、極力無償あるいはそれに近い形で公開する予定である。ただし、残りの三冊については本当に書きあげられるかどうかは不明である。

また、私がブログや書籍による情報発信を行う主な理由は以上のとおりであるが、それらが単に私個人の利益を得ることを目的として行われることもないわけではない。例えば、今私が執筆しているこの「個人的戦略(仮称)」については、いずれ有償公開にする可能性がある。


・「世界の真理探究」「真知性獲得」「創作活動」等のメイン活動の収益化
私は現状創作活動を行う時間には一部の作品を世間に公開することができる形で作成するつもりであるが、それを実際に販売したり宣伝したりすることはこの時間に行う。また、可能であれば「世界の真理探究」や「真知性獲得」の時間に手にしたものも有料公開することによって自身の収益に繋げる可能性がある。


・メイン活動補佐
私自身の研究活動や創作活動を行うための基盤はこの時間に整える。具体的には情報収集網を構築することや、人手が必要となる場合に他者と協力するための手段を用意することが考えられる。

ちなみに、私がもしまっとうに職業研究者となり研究活動を行なおうとする人間であったのであれば、この時間は大学や大学院に進学したり大学教職員として採用され講義を受け持ったりすることに消費されることになっていただろう。しかし、理由は後に詳しく解説するが私は現在職業研究者となるつもりはないため、それらのことをこの時間に行う予定はない。

・各種資産の構築
この時間には情報発信力や情報収集網など、金銭以外の資産も広く蓄える。ただし、それらの資産は手に入れたとしても無理に維持しないし、無用な執着心を引き起こさないためにもいずれ捨てるつもりで蓄積する。


・上記活動のみでは生活できない場合の最低限の生活の確保
もしここまでに紹介した活動で十分な生活資金を獲得できなかった場合には、普通に働くことなどによって生活資金を確保する。むろんその場合は平日の仕事の時間の割合は大きく増えることになるだろう。


その他の仕事

・各種慈善活動
私は自身に時間の余裕がある場合、自ら何らかの慈善活動に取り組む可能性がある。しかしそれが無理な場合は、その代わりとして寄付などを通して社会問題の解決に関わることになるだろう。


・起業及び投資について
起業や経営を行うことによって得られるものは確かに大きい。だからこそかつての私は将来に起業することも考えていた。しかし、現在の私にはそういったことをする予定はない。何故ならば、私の真の願望は自分自身によって世界の真理を解明すること(再発明となること自体は問題ない)であるが、企業の経営を行うことでそのための時間が割に合わないほどに奪われるように思われるからである。

とはいえ、もちろん起業の方法にはいろんな形態があり、その中には自身の願望に反さないものもあるかもしれないので、それが見つかった場合に私が起業をする可能性はないわけではない(実際研究者をやりながら企業を経営している者もいないわけではない)。そして、もし今後自身の気が変わり起業や経営を行なおうとするのであればその時は人類や世界全体への貢献を主目的としてそれを行うことになるだろう。何故ならば私はそうすることこそが起業や経営を成功させるための秘訣であると信じているからである。

なお、投資に関しては十分な学習、情報収集、洞察を行なったうえで自身の資産の効率的な保全程度に行う可能性があるが、その目的を逸脱するほどの投資をする可能性は現状高くはない。


過度な生存への固執について

私は以前自身を生存させることに過度にこだわっていた。その結果、私は恥ずかしながら既に書籍「世界の基礎」で触れた通り汎用人工知能を用いた世界征服という極端な目標を持つこととなった。しかし、そのような過度な生存への執着は逆に自身の身を滅ぼし、そうでなくとも幸福を損ねることになる。従って今の私は自らを生存させるため努力を、既に述べた「一定の時間内にしか行わない」などの制限をかけることによって過度には行わないようにしている。

ちなみに現在の私の生存戦略は「自身を取り囲む環境の良質化」「無理のない範囲での自身の実力の向上及び資産の構築」が主軸となっている。そして、前者の実現のためには「世界の平和の実現及びその維持」「社会の治安向上及びその維持」「自身が属する国家の社会福祉制度の充実及びその持続性の向上」などが目指される。また、もし私が現在の世界で自身の生存可能性を高めることを至上目的とするのであれば、私は自身の資産を増やすことにもっと貪欲にならなければならない。しかし、そうすることは明らかに真理の探究や創作活動を行うための時間を削減し自身の幸福度を下げるため後者の実現のための方針としては採用されない。

 

真理の探究者としての方針及び戦略(+真知性獲得)

探究の目的

私は自身の幸福を実現するための手段として、世界の真理探究すなわち世界の構造を明らかにすることを行う。その際にはそれらを以下の目標を達成するためのものとして行い、それらの目標の達成に繋がらない探究は基本的には行わない。

・知りたいことを知ること(知識そのものが目的)
・考えること及び知ることそのものに伴う喜びを得ること(知識を得る過程に生じる喜びが目的)
・何らかの目標を達すること(知識を活用することによって得られるものが目的)

私は後に詳しく触れるが職業研究者ではないため新たな学術的発見をすることにこだわる必要はない。従って、私は成果があがるかどうかを気にせずただひたすら好奇心に基づく探究に没頭することができる。もし私が何らかの学術的成果を上げることがあるとすれば、それは学術的な成果をあげようとしたときではなく、自身が知りたいと思ったことを知ろうとする過程で偶然既存の学問が解明していないことを解明したときである。


探究の方針

以上の探究の目標を達成しようとする際には、以下の種類の探究を行う。
「基礎網羅的把握」
「大局的な興味関心に従った探究」
「目先の興味関心に従った探究」
「何らかの目的を達成するための探究」

何らかの目的を達成するための探究では、自分の真理の探究以外の活動で必要となる知識の習得も行う。例えば、仕事の時間には今後「世界の基礎:追記(仮称)」という書籍を執筆するつもりであるが、その書籍の内容として記すつもりの知識は真理の探究の時間にも習得されるのである。ただし、この時間は好奇心に従った探究の方がより重視されるため、そういった目的での探究は気が向かないときは行わない。


◇知識量の最大化か探究過程の喜びか
私は知識量の最大化を至上の目標とすることも、探究の過程に生じる喜びを得ることを至上の目標とすることもない。何故ならば過程の喜びを無視して知識を最大化することも、過程の喜びのみを重視して最終的に把握できる真理が少なくなることも、自身には納得のいかないものだからである。私にとって大切なのは両者のバランスの取れた探究である。


探究の戦略

◇自らの力で探究する
自身の知識量の最大化を至上の目標としていた頃の私は、「自分自身で世界の解明を行う」よりも「自身が大きな資産を持つ人間となったうえで他者の研究やAIの開発を支援し、その結果他者やAIによって明らかとなった真理を学習することに特化する」選択をする方が望ましいのではないかと考えていた。しかし、現在の私ははそのような手段を用いるつもりはない。何故ならば、既にふれた通り私は知識を得ることばかりでなく探究の過程に生じる喜びについても重視しているからである。

私は今後仕事の時間には他者の研究の支援を行うこともする。実際に書籍「世界の基礎」で思考法や学手法を公開したのはその支援の一環である。しかしそれらの支援は一定の時間内でしか行わず、残りのそれを大きく上回る時間は自分自身の力による探究を行うつもりである。

余談:かつての私は書籍「世界の基礎」で公開した自身の能力を高めるための一部の手法を隠ぺいすることを考えていた(隠ぺいしようとした技術は具体的には「考え方を考える」「本質洞察及び根底疑念」「知識、経験、情報の徹底的な把握」「大構想」の四種である)。
何故そのようなことをしようとしたのかというと、そのときの私は他者を上回る力を持つことに固執しており、それらの技術を他者が把握することは私が他者に対して優位に立つことを困難にすると考えたからである。しかし、私は最終的に人類全体の実力を向上させることの方が重要だと捉えるようになり、それらの情報を隠蔽しない決定をした。ただし、それらの手法を把握している人には注意してほしいことがある。それは際限のない学術の発展は人類の破滅をもたらす恐れがあるということである。私はそのリスクに備えるために世界の基礎の一部に「科学の発展と道徳」に関する記述をのせたのであるが、現時点でその記述は不十分である。私もその内容を更に拡張することを目指すが、読者もまた無制限な科学の発展が問題を生じさせる可能性について考え必要な対策をすることが必要である。なお、現時点(2024/10/24)で私の書いた書籍は全く読まれていないので、先述の技術の公開もそれに対する配慮も特に意味をなしていない。正直ショックだった。

 

◇職業研究者にならない
※以下はさほど日本の研究者を取り巻く環境について深い考察をしていない現時点での私の考えである。後の情報収集の結果次第で以下の方針は変える可能性がある。とはいえ私は中学校までしか卒業していないため今更大学教職員や研究機関に雇われるような人間になれるとは思えず、あまりその可能性は高くはないだろう。

私は本来であれば大学やその他の公的な研究機関に所属して研究を行うことを理想としていただろう。何故ならばそうすれば給与や研究資金を得ることができ、他の研究者との交流や共同研究も容易となるからである(企業での研究は例外はあるかもしれないが基本的に研究テーマを自分で選べないと思うので最初から目指していない)。しかし、私は現在そのようなことはせず、自称在野の研究者として活動しようと思っている。何故ならば、特に現在の日本においてはそれらの組織や機関に所属して研究をすることが、自身の研究における自由を制限し研究時間そのものを減らすすることにつながるからである。

何らかの組織に所属し対価をもらって研究をする場合、成果を上げることにこだわる必要がある。何故ならば、成果をあげない場合は評価されず雇われ続けることが難しいからである。しかし成果を上げることにこだわる場合、競争率の低い分野を選び確実に成果を上げることが必要となり、自分自身が本当に興味を持つ研究ができなくなる恐れがある。特に日本では若手研究者を取り囲む環境は厳しく、比較的短い期間で成果を上げることが求められるようであるため、自分自身の興味関心を最優先に研究テーマを選ぶことは難しいと考えられる。また、現在の日本の大学教員等の研究時間は、研究者であるにも関わらず職務活動時間の僅か3割程度しかないようだ。私は研究以外にもやりたいことが多くあるため、こんなバカげた環境で研究活動を行うことはできない。

以上の問題を踏まえて、私は極力自分自身の自由を守るために、独自に生活及び研究の資金を確保し、その資金を元に研究活動をするという選択をすることにした。むろん、その方針にはいくつかの問題も存在する。第一の問題は研究者としての総合的な実力はよほどうまくやらない限りは下がるというものである。肩書のない個人として研究をするのであればやはり情報収集力は低下するだろうし、研究を支援する制度があってもそれを活用することが難しくなる。また、第二の問題は、資金の獲得が困難となったりそれに時間を取られたりするというものである。効率的に資金を得られなければやはり研究の時間は削られることになるし、小さな資金しか得られなければ相応にお金のかからない研究しかできなくなるだろう。
しかし以上の問題を踏まえても、やはり私にとっては大学や研究機関に属して研究することの不自由の問題の方がよっぽど大きいといえる。私は既にふれた通りそもそも成果をそこまで求めていないため、研究者としての実力が下がるという問題は、それは楽しく研究をすることができないという問題を上回るほどの問題にはならない。また、資金の問題については、そもそも自分はお金のかかるような研究をしようとは現状思っておらず、配偶者も子どももいないことから極貧生活を容易に受け入れることができるため、自身が必要とするだけの資金を得ることの困難さやそれに伴う時間の消費の大きさの問題はたいしたものではないのである。従って私は現在個人で生活及び研究費を稼ぎ、独自に研究を行うという方針を採用することにしている。


◇大学や大学院への進学について
私は現在中卒だが、今後大学や大学院に進学することはないだろう。研究者になるにはそれらの教育機関あるいは研究機関に在籍することは重要なことであると思われるが、今から受験勉強をすることはあまりに多くの労力と時間が必要となるため割に合わない(ついでに言えばそもそもお金がない)。しかし、もし試験にさえ受かれば中卒でも大学院に進学できる状況になったのであれば、途中でやめるだろうが一応は大学院に所属してみる可能性がある(私が2年ほど前に大学の教職員の方にそれが可能か質問したときは難しいとの答えだった記憶がある)。今の私は論文の調べ方や論文の発表の仕方もまともにしらないため、一般人でも容易にたどり着けるインターネット上の記事や書生の内容を元に考察を行いその結果を書籍やブログという形で公開することしかできないが、それはいいことではないだろう。

補足:もし私と同じように大学などに行かず個人的に研究をしようとする者がいる場合は、もし学術的な成果を上げることにこだわるのであれば、自らの意思で広範で膨大な知識と情報を把握しなくてはならないことをよく理解するべきである。それがされない状態では既に研究者間では常識となっている考えや誤りであることが明らかになった考えを延々と生み出すことになりかねない。

 

◇研究資金獲得
私は現時点では大きな資産を手にすることはできていないため、基本的にお金のかからない研究しかできない状態にある。現時点ではお金のかかる研究をしたいと思ったことはないため、そのことはそこまで問題とはなっていない。しかし現在は本を読んだり論文(入手にお金がかかるもの)を読んだりすることすら簡単ではない経済状況であるため、やはり今よりは資産を増やすことの必要性は高いといえる。

そして、最低限の研究のための資金を手に入れる方法については、現時点では基本的に先述の「仕事」についての解説の部分で紹介した方法を用いるつもりである。かつては遠回りな手法となるが富豪となり職業研修者とならずに強引に研究に適した環境を構築しようとも考えていたのだが、残念ながら現在そのための現実的な手段を持ち合わせていない。


◇情報収集力低下について
私は大学や大学院に行かず研究機関に属することもしないため、その分大きく研究者としての情報収集力を低下させているといえる。

研究者としてのノウハウはインターネットや書籍上で公開されているものもないわけではないが、明文化されず研究室の中で伝えられているだけのものもある。当然、そういった情報は私には把握することができない。専門家となるにあたって読むべき本や論文についての情報は細かい分野になるほど一般には公開されていないだろうが、それについても私には把握できない。対策として一応研究者が公開した研究のノウハウについての情報は調査するが、十分な対策にはならないだろう。

また、私は研究者の世界を知らないため断定することができないのだが、研究者にとって他の研究者との情報交換や議論は、新たな観点を得たり自身の視点の偏りを修正するために非常に重要なことであると思われる。しかし、大学やその他研究機関に所属してない私が専門家とそういった交流をすることは、それらに所属しているときよりはハードルが高いはずである。一応これについても何か良い手段がないか調査するつもりはあるが、当面の間は解決は難しいだろう(何故ならば調べるのが面倒だからである)。

 

・在野研究者を参考にする
私は大学や大学院に進学していない以上在野研究者ですらない自称在野研究者であるのだが、もしかすると在野研究者の人達からは何かを学べるかもしれない。


・英語の習得の必要性
私は現在英語を高校生レベルすら習得していないが、これを良いことだとは思っていない。日本語だけでもある程度のレベルの学術的知識は身に着けることはできるが、先端に近い知識や高度な知識であればあるほどまだ日本語訳はされていない。従って、やはり英語は最低限論文を読める程度には把握しておいた方が良いのである(なお、私は職業研究者じゃないため英語の論文を発表することは義務ではない。そのため、書く技術は無理に習得する必要がない)。

しかし、英語の習得は時間がかかり若い発想力のある時期を無駄にしたくないという気持ちも強いため、もう自動翻訳に頼って英語の習得は諦めることになるのかもしれない(自動翻訳はデータが不足しているのか専門的な領域においては翻訳の精度が低いイメージがある。これは今後解決されるのだろうか?)。

 

◇独立した個人としての探究は怠惰や独善を招く恐れがあるのかもしれない
独立した個人としての探究は何かと怠惰さを招きがちである。周囲からの監視もなく成果を上げることを求める圧力もない状態では、研究の方向性を決定する際や研究の効率化を図る際に怠惰によって妥協することが多くなる可能性が高くなる。また、当然他の研究者との交流がないあるいは少ないことにより、考えに偏りが生まれたり、誤った考えが是正されないままその考えの上に誤った考えを積み重ね続けることになったりする恐れがある。

私はまともな研究者生活や人生を送ることを求めていないため以上のような問題が起きてもたいして気にしない。しかしそうではない人間は、普通に大学と大学院に進学しその後大学や何らかの研究機関に所属するというルートを通った方が良いと思われる。ただし、現在日本の研究者を取り巻く環境は非常に悪いようであるため、真に実力のあるものは海外に拠点を移しその国やその国の企業に貢献することを考えなくてはならないのかもしれない。

 

◇探究領域、専門領域
私は現在政治学の領域についての考察ばかりを行ってきたが、将来的な専門領域は「数学」「物理」「哲学(論理学やその他の世界の根本的な構造に関わる領域)」「認知科学」「AI関連もしくは工学」の五種とするつもりである。また、教養として「化学や生物学、医学等の応用科学」「経済や政治に関わる領域全般、ここまでに触れられていないあらゆる学問領域」についてもいくらかの探究を行う予定である。

以上の方針はあまりに多くのことに手を出し過ぎで非効率に思う人もいるかもしれない。しかし、多数の分野を学ぶことは書籍「世界の基礎」で既にふれた通り特定の分野を極めるためには必須なのである。また、実のところ私が極めようとしているのは世界の真理という一領域に過ぎない。それが多数の分野を極めることのように見えてしまっているのは、世界の真理という領域が多数の分野にまたがって存在するからである。

 

真知性獲得

真知性獲得とは「自身の知力の向上」及び「自身の精神の成熟」を達成することである。
この時間には自身の知力を高めるために「思考法」「学習法」「各種の戦略」などについて開発したり学んだりする。最終的には最短の経路で問題解決や目標の達成を行ったり学びたいことを学んだりできるようになることが理想である。また、私は書籍「世界の基礎」のなかで仏教について偉そうに解説してみたのだが、実のところ現時点では極めて未熟な精神を持ち精神統制力も低い状態にある。従って、真知性獲得の時間にはその問題を解決するための方法を開発したりその他のあらゆる努力を行わなくてはならない。

 

創作者としての方針及び戦略

創作活動は私にとって「作りたいものを作る」あるいは「見たいものを見る」ために行うものである。

私にとって創作とは名誉を得るために行われるものではない。名誉を得るためには、求める名誉の程度にもよるが、既存の作品にはない目新しさを自身の作品のうちに含めることを目指さなくてはならない。しかしそれでは自身が作りたいものを作ることよりも斬新なものを作ることを優先しなくてはならない恐れがあり、それは私の幸福を損ねることにつながりかねない。従って私は名誉を得るために作品を作ることはしないのである。私にとって他者が知らないような斬新な手法というのは、自らの欲望を作品であらわそうとする際に既存の技術ではそれがかなわない状況になって初めて生み出したり活用したりすればよいものにすぎない。

また、私は創作活動によって利益を得ることを悪いことであるとは言わないが、創作を職業として行う予定があるわけではない私が利益を得ることを創作の主な目的とすることはない。実際には自身の創作から収益を得ることもないわけではないだろうが、それ自体が目的ではないため私は私の作りたい作品を作り、その方針から逸脱してまで私の作品の受け手の好みに配慮した作品を作ることはしない。

なお、以上は私個人の方針に過ぎず、私は既にふれた名誉や収益という目的であるいは他者を楽しませるという目的で作品を作ることを悪いことだとは考えていないのでその点は誤解されないようにしてもらいたい。道徳に反さない限りどのような目的で作品を作ろうとそれは他者がとやかくいうことではないのである。

 

娯楽&幸福

休日、祝日、準休日の余剰時間は娯楽やその他の自身の幸福に寄与する活動を行うために消費される。私は私の活動全般が自身の幸福に直結しうるものであると考えているのだが、普段の活動では得られない種のものもときにはあるためそれを得ることはそれらの時間に目指されることとなる。ちなみに私は現在休日や準休日の余剰時間をアニメ鑑賞やゲームなどに使っている。もし金銭的に余裕がある状況になれば祝日に旅行にいくことなどもするかもしれない。

 

現在に至るまでの流れと今後の計画

まだ書いてないし今後も書かないかも

 

おまけ:料理に関する小考察

料理は得意じゃないですが一応考察だけはしておきます。

今はレシピだけ記載。

個人的に気に入った野菜料理のレシピ一覧 - 世界の基礎+α