この記事は書籍「世界の基礎」の一部です。
この項目は先述の良い考えを広めるということの実践である。以下は私が広める価値があると見なした考えである。
・少数派を迫害することを肯定する社会においては、何ものも少数派に陥ることを恐怖しなければならなくなるだろう。従って、自身のためにも少数派を迫害することは避けるべきである。
社会的に弾圧される少数派がいる場合、人数の少なさから当事者のみでそれに抵抗することは難しい。従って、その弾圧を止めるためには当事者でない人々も積極的に動かなくてはならない。そうすることは結果的に自身が少数派に回った場合に他者に支援されることにもつながるはずである。
・ある人をその人の意志を無視して迫害する者は、自身の意思を無視してその迫害が止められることを覚悟しなくてはならない。
・先述した通り人間はそれぞれ共通した性質を持っていることから、おのずと多くの時代地域で同じような道徳を導き出すことができると考えられる。従って、私は異なる時代あるいは異なる地域の人間と話すときも、基本的な道徳については既に共有されているものと認識して対話を行う。そして、もしお互いの持つ道徳に重大な不一致が存在する場合は、一緒に道徳について考えることでお互いの道徳を向上させることを試みるつもりである。
・人々全体の幸福の総量をより多くするという観点から物事を考えることも必要かもしれないが、その考えが行き過ぎて特定の層に過度な不幸が集中することは避けるべきである。
・精神的な苦痛は身体的な苦痛を上回ることがある。
・人々が後天的に身につけた価値観はそれが現実に合わない場合にはできる限り修正することが求められるが、同時に公的な制度や法を構築する際にはそれを全く無視するようなことは避けたほうが良い。社会の人々に備わる後天的価値観の変化には時として多くの時間をかけたほうが良いこともある。
・人々が人々の幸福の実現を目指す際には全体的な効率を考えることも重視するべきだが、私は時に全体的な効率をいくらか落としてでも目の前の人間を助けることについても肯定して良いと考える。それは時に人々全体の幸福を逆に高めることにつながるだろう。ただし、政治家等の社会に大きな影響を与えうる立場についた際にはそのような態度を取ることにはより慎重にならなければならない。全体の効率を考えない場合には目の前にある苦しみが他の場所でより多く発生することを忘れてはならない。
・道徳は厳しすぎず緩すぎないことが好ましい。
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