この記事は書籍「世界の基礎」の一部です。
仏教には動揺のない状態を目指す教えもあることから、仏教で示される慈悲が心を動かすものである感情を伴わないものであると考える者もいるかもしれない。しかし私にはどうにも感情と切り離された慈悲というのは想定できず、慈悲の根っこの部分には感情があると感じられる。慈悲とは共感によって生じる気持ちであり、共感は必然的に自身の内に感情を生じさせるものである。従って、私は慈悲を感情を伴うものであると捉えている。
私の解釈では慈悲とは、他者の不幸や幸福に共感することによって生じる気持ちである。ただし、そのような慈悲を持つ上ではその根にある共感が度の過ぎるものとならないように気をつけなくてはならない。何故ならば、共感が過度であると知性が曇り、かえって人々に多くの不幸をもたらし、人々から幸福を損なわせることになるからである。
補足:理性や信念のみによる慈悲もあり得るとする者もいるだろうが、私にはそのような慈悲は長期にわたって持続することはないように思える。
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