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独自体系構築と他者理論把握

この記事は書籍「世界の基礎」の一部です。

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独自体系構築と他者理論把握

独自体系構築とは、自分自身の洞察と判断に基づいて知識の体系化を行うことで、自身特有の知識体系を構築することである。知識の体系化は、自身がアクセス可能な記録媒体に存在する知識そのものの配置を変更したり、知識の保管場所をノートや電子メモに体系的に記録したりすることで実現する。また、私の場合、本棚の本を自身の判断によって分野ごとにまとめることもまた独自体系構築のうちに含めて行っている。

独自体系に含まれる知識の生成は、体系が作られた後にその体系の空白領域を埋めるために行われることもあれば、偶発的にあるいは体系とは無関係の独立した目的によって行われることもある。また、私の場合は、知識の生成はまず自分自身の洞察によって行い、その後自分で考えるだけでは簡単には生成できない知識については、他者から学ぶことによって行う(効率のみを考える場合は、知識の生成の際には自分で考えた方が早い場合は自分で考え、他者から学んだ方が早い場合は他者から学ぶようにした方がよい)。


他者理論把握とは、文字通り他者の理論を把握することである。独自体系の構築を行わず、他者理論の把握のみを行うことは望ましくない。何故ならば、他者によって公開される理論は他者自身の脳に適応した形となっており自身が活用しやすい状態にあるとは限らない(※1)し、複数名の他者から理論を学ぶ際には学習したものの総体に多数の知識の重複や矛盾が含まれることになるからである。それらの問題に対処するためにも、他者の理論を習得した際には、それをそのままにせず、それが自身の体系に適合する形となるようにそれを修正したりそれに補足をつけたりすることが大切である。

しかし、一方で、最近の私は、独自体系構築ばかりにこだわり、それから離れて他者の理論を把握することを疎かにするのもよくないとも考え始めている。以上の独自体系構築においては、他者の理論の掌握を、独自体系の不足部分を埋め合わせるため以外には、偶発的あるいは特定の目的を達成するためにしか行わない。だが、その場合、自身が自力で価値を見出せなかった理論は、実際にはそれに価値があるのだとしても偶発的な場合以外には掌握されないという問題が生じる。そして、そのことは、自身が多くの有意義な観点を見落とすことにつながる。また、これは私自身の問題かもしれないが、独自体系構築のみを行おうとすると、自分自身で考えがちになることで、他者から学べばすぐ答えがわかるものを何日もかけてやっと把握するということが多くなる。

それらの問題に対処するためにも自身の学習時間の一定割合は、独自体系構築や自身の特定の目的とは無関係に意識的に他者の理論を学ぶことをした方がよいのかもしれない。ただし、その際も最低限は他者理論の構造の把握をしたうえで、重大な部分の選別をし、それについて学ぶようにした方がよい。加えて、教科書を選ぶ際は、各分野の基礎を網羅的に解説するものから採用することが望ましい。



体系化とそのメリット

体系化とは、より正確にいうのであれば、個々の情報を一定の規則に従ってまとめる(一か所に集める)ことである。また、体系とは体系化によって作られた情報の集合体のことであり、体系的とは情報が体系化されている様のことを言う。


体系化の代表例が、「グループ化」と「階層化(グループのグループ化)」である。グループ化とは、複数の情報をひとまとめにするということである。それは「情報を自身の脳内の記憶領域や外部記録の同一個所に集める」もしくは「情報を分散した位置に記録しつつ、それらの情報のタイトルと情報の位置情報を同一個所に集める」ことで行われる。複数の情報をひとつにまとめた後は、それによってできた集合体にグループ名とグループ内の要素の共通特性(※2)の情報を結び付け、さらに必要に応じてその共通特性に関する説明などを付与するとなお良い。

階層化はグループを要素とするグループを作成することである。例えば、「物理学」「生物学」「化学」の各グループをひとまとめにして、それに自然科学というグループ名とそのグループの共通特性や、その特性に関する説明を付与することが階層化である。このとき、以上の三領域は下位階層のグループであり、自然科学は上位階層のグループである。また、以上の例は上位階層を作る階層化であるが、既に存在するグループの内部にある要素の解析を行い、その要素内の要素をいくつかに分類することで複数のグループを作ることで、下位階層のグループを作ることもまた階層化の一種である。

グループ化や階層化以外の体系化の手法としては、情報を降順や昇順に並べることなどが考えられる。体系化のメリットとしては、情報の検索が容易となることである。例えば、権力分立に関する情報を、学術に関する各知識がグループ化も階層化されずばらばらに保管されている記憶領域から引き出そうとする場合、各情報を順番に確認することで権力分立に関する情報を探し出す必要がある。しかし、学術に関する知識というのは極めて膨大であり、それらの情報を一つずつ確認して、目当ての情報を引き出すことは極めて困難である。それに対し、権力分立に関する情報をグループ化と階層化によって整理された学術の知識体系から検索するときは、まず目当ての情報が学術知識というグループの直下にある【自然科学、人文科学、形式科学、応用科学】のいずれに属するかを確認することになるが、それが終わった時点で自然科学や形式科学、応用科学の内部に存在する情報は確認対象から除外することができ、大幅に情報の検索の際に確認しなくてはならない情報を削減できるのである。

ただし、もちろん権力分立が政治学の分野の情報であることや、政治学の分野が人文科学の分野に属することを知らない者は、以上の方法による検索対象の削減は行えない(権力分立が政治学の分野の情報であることだけでも知っていれば【自然科学、人文科学、形式科学、応用科学】の一つ下の階層のグループをそれぞれ確認する必要が出るが、それより下の階層の情報の検索を省略することはできる)。だからこそ、知識の体系というのは自分自身で自分の保有する知識にあったものを開発しないと使いこなせないのであり、他者の体系を学ぼうとする際には、その体系特有の知識の結びつきの概要を事前に把握することが必要である。誰かが個別の情報を何らかの知識体系から検索する際には、情報の検索者がその情報と結び付けて記憶している複数の情報、あるいはそれらの情報にさらに結び付けられている多数の情報のいずれかがグループ名やグループの特性となっているグループを探すところから始めなくてはならない。

特定の情報は複数の同位のグループに属することがある。複数の同位グループに属する情報は、情報記録領域に一つしか置かずとも、それらのグループ作成時に、それらにその情報の位置をそれぞれ結びつけて置くと、問題なくその情報の検索ができる。しかし、情報は必要に応じて複数の場所に置くようにしたほうがいい。なぜならば、各グループの内容を理解しようとするとき、そこに属する情報を検索する必要があると、その理解速度は低下するからである。ただし、情報が複数箇所に存在することを容認した結果過度に情報の重複が多くなったときは、体系の再構築を行わなくてはならないこともあるだろう。また、同一の情報が複数箇所に存在するとき、その情報を更新する際に複数回の更新を行わなければ、更新前の情報が体系に残ることになる。


※1:他者の理論は、そのままだと、自分自身が有する知識との間に矛盾が存在したり、それを理解するために必要な前提知識がその理論にも自身にも内在しないことから理解できなかったりする

※2:グループ名とグループ内要素共通特性は単一の表記でもよい。例えば物理学に関する情報を要素とするグループを作るとき、そのグループ内の共通特性は物理学であるが、その物理学という語そのものをグループ名とすることも容認される。

 

 

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