世界平和実現構想+α

世界の平和を実現するための方法を考えます

禅の公案とピュロン主義の十の方法の類似性

この記事は書籍「世界の基礎」の一部です。

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私はその答え(※この記事の下部より前の記事参照)を得たことにより思考に囚われなくなった。思考を掴もうとしても空を切るような状態になったのだ。私の言葉への過信は破壊された。そしてそれにより精神的な平穏が結果としてついてきた。それ以前の私はは苦しむほどに何かについて考えることを強いられていたのだが、それ以降の私はもうそのような状態には陥らなくなっていた。

私はその状態をさらに分析した。すると以下のことが分かった。
・私はあらゆる考えを絶対視しなくなった。
・私はあらゆるものに対してあるともないとも断言しない状態になった。
・私は全てのものについて分かるとも分からないとも断言しない状態になった。
・私は相対主義者でも絶対主義者でもなくなった。
・私は世界の全てに対して判断保留状態になった。
・私の行った判断は全てが仮の判断となるようになった。


私は後に公案と言われるものが仏教にあることを知った。それは禅宗の臨済宗において使われている問題であり、その問題は思考による解決が不可能な問題である。臨済宗では悟りを開くことを求める者に徹底的にその問題について考えさせるようにすることで、その人を思考への囚われから解放するのである。私はこの存在を知って、私が得たものが公案の回答であることを理解した。私は気が付かないうちに「世界を観測する私は実在するのか」という公案を考えてその答えを手に入れたようである。

その後の私はピュロン主義というものについても知ることになった。私は私の至った状態を分析するためにいくつかの書籍を読んでいたのだが、その中には「ピュロン主義哲学の概要」の著者であるセクストスの思想と仏教の思想家であるナーガールジュナの思想の間にある類似性について語る書籍(※1)が含まれていた。そして私はその書籍を読んでいるときに判断の保留という表現を見つけることになる。私にはまさにその表現が私の状態を表すのに適切なものであるかのように感じられた。それが気になった私はその表現の出どころと思われるピュロン主義についても調べることにした。

ピュロンは古代ギリシャの哲学者であり、古代懐疑主義哲学の創設者であると言われている存在である。そして彼は3世紀前半ごろに活躍した哲学史家のディオゲネス・ラエルティオスによって、インド人と交流した経験をもとにして判断の保留という形の議論を哲学の中に導入したのではないかと推測されている。彼がどの程度古代インド思想の影響を受けていたかについては論争があるようだが、もしそれが事実であれば、ピュロン主義から偶然にも私の状態を示す表現が現れるのも不思議ではない。なぜならば、私もピュロンも古代インド思想という共通の源泉を持っていることになるからである。それらの情報を知った私はピュロン主義にさらに興味を持つようになり、先述の「ピュロン主義哲学の概要」の訳書を読んでピュロン主義への理解を深めることにした。

そして私はその書籍を読み進めるうちに、ピュロン主義において目指される状態が私が体験したものと同じであることを確信した。特に画家のアペレスの例(第一巻第十二章)は明らかに私の得た経験と一致したものであった。画家のアペレスは馬の口の泡を描写しようとした際にどうしてもうまくいかず、ついに断念して筆の絵具をふき取るスポンジを絵に投げつけた。するとそのスポンジが偶然にも馬の泡そっくりの跡をつけて、結果的に思考への盲信から解放されたのである。また、ピュロン主義に紹介される無動揺の境地に至るための方程式についても、私には公案と同じことを目的としている可能性が高いように感じられた。

もしピュロン主義の無動揺が私が至った状態と同じであるのなら、その状態は意図的に判断の保留を行うことによって至れるものではない。それが自ら判断を保留することで至れる状態であるのなら、その判断の保留を停止したとたんにその状態は消え去るだろう。しかしピュロン主義における無動揺の状態は、判断を再開したところで崩れるものではない。なぜならば一度それに至ればその後は言葉や思考への盲信が破壊された世界観が根底に継続するので、判断を開始したところで普段の生活において思考というものに精神が過度に振り回されるような状態になることはもはやないからである。

私が思うに、それは思考により解決が不可能な問題を解決できるまで考え続けたときに思いがけず訪れるものである。そしてその体験は言葉で直接伝えることができるものではない。

 

※1:純粋仏教_セクストスとナーガールジュナとウィトゲンシュタインの狭間で考える,黒崎宏,春秋社

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