世界平和実現構想+α

世界の平和を実現するための方法を考えます

立法、司法、行政の三権を用いた権力分立(書きかけ

この記事は書籍「世界の基礎」の一部です。

kanayamatetsuya.com

 

 

この節の概要

既に述べた通り多くの民主国家では政治権力を立法権、行政権、司法権の三つに分ける政治体制が採用されている。そして、それらの権力の内容は国によって差があるが、概ね立法権は法律を制定する権限であり、行政権は法に基づいてあるいは法の範囲で政策を実行する権限であり、司法権はある人が法律に違反したかどうかを判定する権限と憲法に違反する法の無効化を行う権限である。ただし、以上の権力はいずれも憲法に定められるルールに従って行使されなくてはならず、憲法の作成と修正は主に立法権を有する機関と国民によって行われる。

権力分立に関する私のここまでの話を聞いて「もしかすると権力分立体制構築の際には政治権力を以上の三権とは全く違った複数の権力に分割することもできるかもしれない」と考える者もいるかもしれない。だが、私は仮にその可能性が実際にあるのだとしても、これから新しい民主国家を設立しようとする人々には「根本に既存の立法、司法、行政の3つに政治権力を分ける考え方を採用し、そこに自国の状況に合わせて適切な修正を加えた制度」を用いることを推奨したいと思う。何故ならばその手法は既に多くの国家において完全ではないにしろ十分にうまく行くことが検証されており、それを採用することで全く新たな三権を作る場合よりも成功する可能性の高い制度を作ることができると考えられるからである。

以上を踏まえて私はこの世界において今後も少なくともしばらくの間は立法、司法、行政の三権を用いた権力分立ついての情報が重要となる可能性が高いと予測しているため、この節の以降の部分ではそれらの権力の在り方とそれらの権力の間における相互抑止の方法についてより具体的な解説を行っていきたいと思う。

 

三権の全体像

なぜ立法、行政、司法の三権か

◇三権成立の概要
間接民主制を採用する国家においては、政治権力の運用者として「国民によって選ばれた多数の者から成る集団」と「その集団あるいは国民によって選ばれた少数の者からなる集団あるいは個人」が定められるところまでは強い必然性があると思われる。このとき、前者は国民の多様な意志を反映するために多人数となり、後者は行使の際に迅速な判断が必要となる政治権力を運用するために少人数となる(※後者に相当する組織は複数作られる可能性がある)。また、そのような体制を採る国家においては「前者が後者に対して監視と統制を行う役割を担うこと」及び「前者内部の多数派による横暴を阻止するための仕組みが作られること(それが独立した司法府の設立であるかどうかは不明)」もおそらく確実である。


◇本質的観点に基づく三権成立の説明
・立法府及び行政府の設立理由
もし民衆によって選ばれる代表者が単一個人のみである間接民主制国家があるとすればどうなるだろう。そのような制度の下では(実際には採用される選挙制度にもよるが多くの場合)51%の人に支持される候補者Aと49%の人に支持される候補者Bがいた場合にはAの方が当選し、Bの支持者はAの支持者と同様に社会の半分近くを占めるにもかかわらず次の選挙までの間政治家を通した政治への意思の反映の度合いが著しく制限された状態に置かれることになるのである。そして実際にそんなことになれば、社会に蓄積される政治的不満が大きくなることで国家は不安定化し、運悪くそのようなことが何度も繰り返された場合には体制が転覆するおそれすら出てくることになるだろう。


また、民衆によって選ばれる代表者が個人でこそないが少人数である場合にも反映されない民意は大きなものとなる。何故ならば


従って、以上のような民意の反映が不十分であることによる国家の不安定化を防ぐためにも間接民主制国家ではやはり多数の人間から成る政治権力機関(以降「議会」と称する)を作り、少数派であってもその人口の大きさに応じて多くの人間をそこに送り込めるようにし、その機関が政治に十分な大きさの影響力を及ぼすことができるような制度を作ること必要である。それは、国民に自身が少数派に転落した場合にも全く政治的に無視されるようになることはないという安心感を与えることによって人々の幸福度を上げることにも貢献するだろう。

 

だが一方で、政治権力の運用者としては少人数から成る組織(以降「執行機関」と称する)も必須である。例えば
それらの政治的役割については能力の高い者を選出したうえでそれに任せたほうが権力の運用の質は高まるのである。

このようにして、間接民主制国家には議会と執行機関が生じ、後者は迅速あるいは詳細な判断が必要となる政治的な業務を担うわけである。それではここで前者の機関は一体どのようにして政治に関わるのだろうか。前者の機関が政治に影響力を及ぼす方法としては前者が後者に対して「政権運用に関するルールを課すこと」及び「そのルールに強制力を持たせること(そのための方法としては従わない場合には解任等の制裁を与えられるようにする等がある)」ができるようにすることが考えられる。
それらのルールは議会内で投票で決める&対話の時間を取る
各議員は投票権と発言権を持つ者とする

このようにして議会は以上の執行機関を統制するための法と社会の秩序を維持するための法を作る権限を持ち、その権限は立法権と称される。

 

・司法府の設立理由
立法権はそれ自体が他機関に対する強力な抑制権である。立法府がその権限を無制限に行使できる状態になっているのであれば、それは他の政治権力機関が自機関への抑制権を行使することを封じる法律を作ることで権力分立を破壊する可能性があり、更には立法府内部の多数派が少数派の反対を押し切ってそれらの権利を縛る法律を作る恐れがある。

以上のような問題に対処するための方法が立法府と行政府の双方から独立した司法府の設立である。人々が政治家が守るべき政治権力の行使に関するルールを憲法の作成によって予め明らかにしておき、立法府(あるいは立法権の一部を持つ行政府)がそれに違反するような法律を作った場合には司法がそれを無効化できるようにしておくのであれば、立法権が暴走することを防ぐことができるようになる(具体的にどのようにして法律を無効化するのかについては後の司法の項目で触れるものとする)。

もちろん司法府による政治権力への統制も完全に公正ということはない。何故ならば現状は民衆によって選出される立法府や行政府が、後述する理由により民衆によって選出されない司法の在り方を決める権限(裁判官の任命権や弾劾権等)を持つことは司法の民主的正当性を確保するという観点から避けられないことであり、そうである以上司法の方針に立法府や行政府の意向が影響することは必然となるからである。しかしそれでも司法権を握る者の任命や弾劾に適切なルールを課し、後に触れる司法の独立が実現され、司法府の在り方に関する決定権を握る者が将来の政権の横暴を防ぐことも考慮してその権限を行使するのであれば、司法による立法や行政へのチェック機能をないよりはまし程度のものにすることはできるだろう。


◇歴史的経緯に基づく三権成立の説明
かつての時代は全ての政治権力が君主に集中していたが、最初にそこから立法権が議会に移譲され、次に司法権が裁判所に移譲されることで、君主にはその他の権限すなわち行政権のみが残り、立法、司法、行政による権力分立体制が確立することとなった。そしてその後行政権についても人民の代表が握るようになり現在の民主的な権力分立体制が成立した。以上の過程にはロックやモンテスキューの思想が影響している。


立法府、行政府、司法府の統制関係について

私は独裁国家のみならず民主国家においても立法府、行政府、司法府が対等であることは絶対に必要なことというわけではないと認識している。おそらく、国家の政治体制を国民によって直接選ばれた多数の議員が構成する議会すなわち立法府がより強い政治的権限を持つような形にしたのだとしても、それが直ちに民主主義の破綻に繋がることはないだろう。実際にイギリスはそのような考えに基づく制度を採用しているが民主主義は維持されている(※とはいえ2000年以降には司法の独立が推し進められるなどの改善はある)。ただしそのように議会主導の体制を実施するのであれば議会内での権力を十分に分立させることが必要である。また、やはりその場合であっても全く立法府が外部権力機関からの統制を受けないことは避けたほうがよいだろう。立法府が政治において主導的地位に就けられるのだとしても、行政府や立法府から何らかの抑制が行われるようにしなくてはならない。

補足:議会内での権力分立を実現する方法としては「議員を多人数にしたうえで、各議員の権限を平等にし、各議員の自律を保つこと」や「議会の意思決定のうち特定の条件を満たすもの(※憲法の改正や司法府の構成員の任命のように議会多数派の強権化につながるリスクのある決定)については、全議員の過半数ではなく三分の二の賛同がなければ行えないようにするなどして、議会の多数派が少数派を力づくで抑え込むことを困難にすること」が考えられる。


議院内閣制と大統領制

※以下には私個人の独断と偏見が多く混じっていることを最初に断っておく

大統領制は立法府の構成員と行政府の構成員の双方が国民自身によって選出される制度である。その仕組みは特定の政治権力機関による独裁を防ぐことを重視して作られたものであり、各政治権力機関が持つ権力は権力分立を厳格にすることで厳しく制限されている(しかし大統領制はやたら独裁化するケースが多いように思われるが気のせいだろうか)。

それに対し議院内閣制では国民が自ら決めるのは立法府の構成員だけであり、行政府の構成員については立法府によって定められることになっている。そして、その制度の下ではそれらの機関の間の権力分立は大統領制と比較すると厳格ではない。何故ならば根本的な理念として、議院内閣制における行政府は立法府が自身が運用するのには向かない権限を政治権力運用の効率化を目的として委任するために作った組織にすぎず、立法府への抑止を働かせることを目的として作られたものではないからである(このとき想定される立法府と行政府の関係は後者が前者の統制を受けつつもそれらがお互いに協力しながらより良い政治の実現を目指すような関係である)。そうであるならば、内閣が議会から分離していることの必要性は小さくなる。また、そもそも議院内閣制における行政府は民衆によって選ばれたわけではないという観点からもそれが立法府からより強い関与を受けることは好ましいことであるといえるだろう。従って議院内閣制を採用する国家においてはある人が立法府と行政府の双方に属することも容認あるいは推奨されるのである。

・大統領制と首相公選制の違い

議院内閣制において首相の権力はその人の議会の支持を得る能力が高い場合には強大なものになり得るものの、制度的に認められる首相の権限はその人が民衆によって直接的に選ばれたわけではないことから大統領制における大統領の権限よりも小さくなっているのが通常である(※議院内閣制の首相は議会の協力なしで行使できる権限が少ない)。従って議院内閣制の国において単に首相を国民が選べるようにするだけであれば、大統領の権限を弱めた大統領制のような制度が実現することになるだろう。しかしもし首相の民衆による選出を実現すると同時にその権限を制度的に強化するのであれば、それは実質的に制度の大統領制への転換となる可能性がある。

・多元代表制
政治権力機関の数を三つ以上にする場合には、国民によって構成員が決定される政治権力機関の数も三つ以上にすることができる。しかしそのように国民が自ら判断する事項の数を多くすればするほど、国民がそれら事項の内の一つに割くことができる時間が減少し、人々による政治的決定の質が低くなる恐れがある点には注意しなくてはならない。


個人的洞察:私は個人的には大統領制のように行政のトップを国民が直接選ぶ制度よりも、議院内閣制のように議会がそれを選ぶ制度の方が好ましいと考えている。なぜならば政治に対する理解がより高度である集団によって行政権を担う者が選出された方が、能力が低いあるいは民主主義への理解が浅い人間が政権を運用することを阻止しやすいからである。もし大統領制を採用するのであれば国民が選挙において不適切な人を選ぶことを防止する仕組みを導入した方が良いだろう。あるいは議院内閣制と大統領制を併用するような制度も悪くないかもしれない。ただし私は現時点ではわざわざ日本の国政に大統領制を取り入れる必要性は感じていない。また、地方政治においても各都道府県の知事を直接選挙で選ぶのはやめたほうが良いのではないかと考えている。

 

立法府

立法府の役割

立法府の役割は主に法律を作ることであるが、通常はそれ以外にも行政府が提出した予算案や行政府が他国と結んだ条約の承認、憲法改正の発議等を行う役割も担っている。また、行政府への統制を行うのも立法府の仕事である。

立法府による行政府への抑制(司法府への抑止については司法府の項目で語るものとする)

◇任命権と解任権による統制

議院内閣制の国家では議会は首相の任命権及び首相解任権を持っている。また、行政権という権力は強大であるためそれを外部から辞めさせることが全く不可能となるような制度は好ましくない。従って、大統領制においても議会は議院内閣制よりもそれが認められる条件が厳しいものの弾劾によって大統領を解任する権限が備わっている。

◇立法による統制

立法権はそれ自体が他機関への抑制権であり、それは行政を統制するためにも使われる。内閣に政令を作る権限を認める際にはその範囲を明確に限定するように

 

◇予算案の承認権を用いた統制

 

◇行政府への監視

立法府の基本的体制

議員数、任期、議院の特権(発言免責)

 

・議会内統制

議会がその内部の規律を維持するためにも、議会にはそれを乱す議員に罰則を付与する権限が付与されるべきである。ただし、議会内の多数派が少数派を不当に排除することを防ぐためにも、議会からの除籍などの重たい処罰については議会内における特別多数の賛同を必要とするべきである。

・不逮捕特権について(行政府と司法府の不逮捕特権の有無についてもここで語るものとする)

議会の議員や行政権の保有者(内閣や大統領)はその内部の対立派閥や外部からの不当な統制を防ぐために不逮捕特権を有するべきである。司法府は、自らの裁判権によって外部からの不当な刑罰を免れることができ、逮捕されたとしても他の裁判官に職務を引き継ぐことが容易であるためその特権は必要ない(ただしこれは司法府及び検察や警察が健全に機能していることが条件であり、そのための方法についてはこの書籍のこれ以外の部分で触れることとする)。また、不逮捕特権とは職務を遂行する期間の間に現行犯以外による逮捕を免れる権限であり、任期を終えた後や現行犯の場合に逮捕されることは容認される。

注意:私の不逮捕特権に関する解説はこの書籍の中でも特に検証が不十分な部分であるため鵜呑みにするべきではない。正直なところ私には不逮捕特権の目的が権力分立を機能させることにあるのか、職務の遂行が滞るのを防ぐためにあるのか、その両方にあるのかを確認することができていない。

議論の体制

 

派閥及び政党

 

二院制

国によっては議会は二つに分かれている。一方は国民の代表としての性質が強く、もう一方は「地方の意思」や「貴族などの特権階級の意思」を国政に反映することを目的として設立される。そして、それらの関係は、前者(※以降下院)が議会の主たる意思決定者となり、後者(※以降上院)がその意思決定に修正を加える担うような形式であることが多い。二院制は必須の仕組みではない。地方が国政において影響力を持つ必要性が小さい国では、地方の代表機能を担う上院が廃止され一院制へと移行することがある。


・上院に存在意義を持たせる方法
もし下院と上院の構成がほとんど同じようなものであれば、上院は単なる下院の追従者となることが多くなり、その維持のために必要な費用に見合うだけの役割を果たさなくなる。従って、上院を設立するのであれば、それに下院とは違った性質や役割を持たせることが必要である。ただしもちろん上院に存在意義を持たせるため無理にそれに必要のない役割を与えるぐらいならば、一院制に移行することを考えたほうが良いだろう。上院はその存在が下院だけしかない場合に生じる問題点を解決することに繋がる場合に限って設立すればよいのである。

・日本の二院制の改革案
日本では下院は衆議院と呼ばれ、上院は参議院と呼ばれている。日本におけるそれらの関係は対等に近いものであり、そのため衆議院と参議院の過半数を占める政党が違う場合(ねじれ国会)、国会における意思決定が停滞するリスクは大きなものとなる。

私は現時点では、日本の衆議院選挙においては民意をより正確に反映させるために、議会の全議席の内、現在では純粋に小選挙区制によって選ばれている部分についても比例代表で選ぶ(ただし政党の候補者名簿内での当選順位を民意に基づいて決定するために小選挙区を併用する)ようにするべきであると考えている。そして、その場合に生じる議会内で政党が乱立することによる国会の意思決定速度が鈍化という問題に対処するために、参議院の権限をいくらか縮小することが必要であると考えている。

また、日本では国会議員選出における一票の格差を解消することは地方切り捨てに繋がる恐れがあるという理由でその是正に反対する者もいる(※現状一票の格差があることによって利益を得ているのは地方であり、その是正は地方の不利益となる)ようだが、その問題への対処として参議院の地方の代表としての性質を高めることを検討するのもありではないだろうか。具体的には各都道府県が同数の議員を参議院に送ることができる体制への転換が考えられる。ただしその場合、参議院の選出における一票の格差が度が過ぎて大きくなるようであれば選挙において複数の地域を一つの地域と見なしたり逆に一つの地域を複数の地域と見なしたりすることが必要となることもあるし、参議院への民意の反映が国民全体の意思をゆがめた形で行われるようになることからその権限はより一層限定的なものとする必要がある。あるいは参議院の議席の一定割合については各都道府県が同じ数の議席を有する形式にしつつ、残りの割合は各都道府県の人口に応じてそれらに議席を配分する形式にしても良いだろう。

追記:いや、必ずしも人口に比例しない地方院の設立は連邦制のように地方分権の強い国家において容認される者であり、日本のように中央集権的国家においては国会の構成は人口を正しく反映したものにしなくてはならないのではなかろうか。

行政府

行政府の役割

行政府の役割は立法権による統制の範囲内で政策を実行することである。その具体的な役割は国によってさまざまであるが、多くの国に共通してみられる役割としては法律の執行、外交の実施、条約の締結(事前あるいは事後に国会の承認を必要とする)、法律に基づいた行政機関の設置、予算案の議会への提出、恩赦の決定(※私はこれを日本やアメリカの制度を参考に行政権に属するものとして判断したが、もしかすると議会の権限としたほうが良いのかもしれない)などがあげられる。また、行政機関の指揮監督権は基本的には行政府が握る。


政策はどのように実施されるのか/議会との連携

法律の執行とは?

行政府による立法府への抑制

◇議院内閣制

議院内閣制を採用する国家においては、既に述べた通り議会が内閣に対して不信任決議を行いそれを辞任させられるようになっているが、同時に内閣には不信任決議に対して議会の解散によって対抗することが認められている。ただし、内閣は議会を解散した場合にも総辞職する必要がある。

議会の解散権は議会が安易に内閣を辞任させることを防ぐために内閣に認められる権限であるが、その権限がなくともおそらく議院内閣制は成立する。しかしその場合は当然議会に対するその外部からの抑止は弱まることとなる点には注意するべきである。


・内閣単独の決定による議会の解散
国によっては内閣は議会の不信任決議とは無関係に自らの意思のみによって行使できる議会の解散権を持つ(日本でも憲法成立当初には想定されていなかった事態であると思われるが、憲法7条の規定に基づき内閣が単独で議会を解散する決定をすることが可能となっている)。また、その権限は多数の議員の支持を得てやっと行使できる不信任決議に基づく解散権と違い、少数の人間の支持のみによって行使することができる(※日本では実質的に首相の意思のみで行使できる)ため、より容易に活用することができる。

議院内閣制を採用する国ではこの解散権を用いることで、内閣が能動的に立法府と行政府の対立による政治的停滞を解消することができる。それらの機関の間の対立が大きく政策の実施ができない場合は内閣が議会を解散し選挙を実施すれば、新たな議会とそれによって選出された内閣が成立し、議会と内閣の意思が一致する状態を再度作り出されることになる。

そして、私は少し前までは内閣単独で行使できる解散権については制限を掛けるべきであるとの考えを持っていた。何故ならばそのような権限を内閣に認めると、与党が自党の支持率が高いタイミングを狙って解散することで選挙で勝つ可能性を高めることを容易に行えるようになり、政党間の公正な競争が妨げられる恐れがあるからである。しかしそれを認めることは先述のように立法府と行政府の対立による政治的停滞を抑止する効果を生むことに加え、「選挙が終了して以降に新たに議会で国民にとって重大な議題が生じた場合にそれについての国民の意思を再度の選挙によって確認すること」や「議会の腐敗を内閣が能動的に修正すること」をより容易に行えるようにする。従って私は現在では、党利党略のための解散が行われた場合に国民がその政党に対して票を投じるのを避けるように努めるのであれば、内閣の裁量による解散を存続させても良いのではないかと考えている。

 

◇大統領制

大統領は民意によって選ばれたという正当性を確保していることから議院内閣制の首相或いは内閣と違い議会の承認を得ずに行使できる権力が大きくなっている。そして、大統領制では議会と大統領の双方の独立が強固であり、通常大統領は議会の解散権を持たず、逆に議会が大統領を解任することも困難となっている。

大統領が持つ権力の内容は国によって大きく異なるが、その主な例としては「議会の立法に対する拒否権」や「法的拘束力を有する行政命令の単独発令権」などの法的な権限があげられる。「議会の立法に対する拒否権」は、議会による法を用いた大統領やその指示によって動く行政機関への統制に、大統領自身が対抗するための手段として必要となる(※もちろん単に議会が誤った法律を作ることを阻止するために使われることもある)。その権限があることによって大統領が議会から独立して行政を行うことは促進される。ただし、立法府から立法権が損なわれることを防ぐためには、大統領が拒否権の行使によってある法律の成立を阻んでも、議会がより多くの人数の支持によってそれを再度可決したのであれば強制的にその法律が成立するようにしなくてはならない。また、「法的拘束力を有する行政命令の単独発令権」とは、大統領に憲法や法律による制限の範囲内で認められる「法的拘束力を伴う命令を行政官や行政機関に対して議会やその他外部権力機関の承認を得ずに発する権限」である(※議院内閣制の内閣もこれに相当する権限を持つことはあるかもしれないが、大統領が持つ権限と比較するとそれは弱小となるはずである)。ただし、それはあくまでも大統領が自身が支持する政策を行政官や行政機関に遂行させるための手段であり、一般の国民に義務を課したりその権限を制限したりするためのものではない。

行政府体制

・行政府内部の権力分立実例
私は他国の制度がどうなっているかについては詳しくないため語ることができないが、少なくとも日本の内閣(首相と複数の国務大臣から成る。また、「首相」及び「国務大臣の過半数」は国会議員から選出される)は合議制の組織であり、その意思決定(国会への法案の提出や政令の公布等関する決定)は首相と各国務大臣の議論によって行うこととなっている。また、日本ではその意思決定は首相とその他の国務大臣の全員の合意が得られない限りはなされないことが慣例となっている。ただし、国務大臣の人事権は首相が握っているため、首相がその気になれば、自身の意に反する国務大臣を解任し自身の方針と合致する者をその地位に就けたり自身が首相の役割と辞めさせられた国務大臣がになっていた役割を兼任することで、最終的には自身の方針を押し通すことが可能となっている。

以上の体制があることは首相の権力乱用にはいくらかの歯止めは掛けることに繋がっていると思われるが、それは強固なものではない。そしてそのことから内閣内の権力分立を更に強めることを検討する者もいるかもしれない。しかし、その際は行政府の意思決定が停滞することによる弊害についても十分に考慮し安易な改革を行わないようにする必要があるだろう。

・行政権継承順位策定
首相や大統領が何らかの事情によりその職務を遂行できなくなった場合の代行者は、政治的な混乱を避けるために予め憲法や法律で定めておく必要がある。

 

司法府

司法の役割

 

違憲審査

司法は意見である法令の無効化を行うことができる。司法は違憲であるとみなした法令を、それらに基づいて判決を下すことを辞めることによって無効化する。また、違憲判決により国家による保証を実現することができる。

◇違憲と罰則

政治家に憲法を遵守させるために、司法が既に作られた法律だけでなく政治家の行為(例えば特定の法律を作らないという行為などがそれに該当する)に対してもそれが憲法に反する場合には違憲判決を出せるようにし、なおかつそれによって違憲であると判断された行為を行った政治家には罰則が科されるようにすることを考える者もいるかもしれない。しかし現時点でそのような権力を司法が持っていないのはなぜだろうか。法と政治体制のいずれの専門家でもない私が短期間独自に洞察と調査を行った限りでは、おそらくそれは司法の権限が強力になり過ぎることを防ぐために認められてないのだと思われる。

司法はそれに求められる公平性や専門性から、「他政治権力機関からの独立性」や「非民衆代表性」を手に入れることになる。そしてそのような独立性と非民主制を兼ね備えた機関に強大な権力を付与することは、その権力への抑止が困難となることから危険であり、民主主義の観点からも好ましくない。そのため司法に認める権限は十分に制限されたものとする必要がある。しかし、司法に違憲判決を下すことによって立法府の議員や行政府の構成員に罰則を課す権限を認めると、その条件を満たすことは難しくなる。何故ならば、そのようにすると司法は憲法を恣意的に解釈することによって自身が気に食わないと感じる政治家に制裁を与えられるようになり、政治家を自らの思い通りに動かすことができるようになる恐れがあるからである。

従って、現状は司法が持つ権限は違憲な法律を無効化する程度のものに留め、政治家が違憲行為をした場合には既に述べたように他の政治家が自身に認められた(違憲審査によって対象に罰則を与える以外の)権限を用いてその人を抑止するか、国民が次の選挙でその政治家に票を入れないようにすることで対処するようにした方が良いだろう。


司法の独立

裁判が公正公平に行われるようにするためには、裁判官が立法府や行政府に圧力をかけられてそれに都合のいい判決を出すようであってはならない。そのような事態を防ぐためにも司法府は、他の政治権力機関から十分に独立した状態すなわち他の政治権力機関の意向に左右され難い状態にあるようにしなくてはならない。そしてそのためには裁判官に対して報酬や身分を保証することが必要である。ここでいう身分を保証するということは裁判官の任期を十分に長い年数に固定し、任期中の裁判官の罷免が容認される場合を限定するということである。

・規則制定権

日本の最高裁判所は憲法の規定に基づき裁判所内部の規律など一定の事項について規則を制定する権限を持つ。これは外部政治権力機関による統制によって司法の判決がゆがめられることを抑止するためのものである。もし議会がその規則制定権を侵害する法律を作った場合には、最高裁は違憲審査によってそれを無効化することができるだろう。

法解釈の必要性

 

 

解釈権の暴走に対する抑止

以上のことから憲法や法律の条文は、厳密な論理的操作のみによってその意味を明らかにすれば良いというわけではないことがわかる。従って、司法においては法律をそのままに捉えないことがいくらか容認される必要がある。しかし、一方で、司法に厳密ではない法解釈を認めると、今度は司法がその解釈権を濫用する恐れが出てくる。

私はその問題については、裁判官に対して何らかの明確な解釈のルールを強制力のある形で課すことによってではなく、次のものによって対処することが好ましいと考えている。
・法についての深い理解が備わった裁判官による良心に基づいた努力
・法学の発展
・権力分立による司法への適度な統制
・その他司法監視制度の構築(詳しくないため省略)

裁判においては論理的に厳密である法解釈のみを行うようにすると現実を無視した判決を下す恐れがあることからそうではない解釈も容認する必要があるのだが、解釈のルールを裁判官を拘束できる形で定めたのなら結局はそのルールが現実に合致しない場合に同様の問題が生じることは避けられない。そのため強制力を伴う法解釈のルールの設定は避けるようにするべきであり、もしそれをするのであればルールの内容や強制力は十分に抑制的なものとする必要がある。

 

「法についての深い理解が備わった裁判官による良心に基づいた努力」と「法学の発展」

裁判が適切に行われるためには、法について十分に深い理解が備わっている裁判官が自らの良心に基づいて判決を下すことが必要である。また、法学の発展により正しい法解釈の方法を明かにすることで、それを学ぶ裁判官の法的な判断の質をたかめなくてはならない(なお、法解釈の方法の詳細についてはいずれ私の別の書籍あるいはブログで解説する予定である)。

権力分立による司法への適度な統制

もし司法への外部からの統制が存在しなければ司法が法の解釈をいい加減に行ったり自身の都合で否定したい法律を否定し始める恐れがある。そのため、司法の独立は重要ではあるがそれが完全であってはならない。


◇裁判官に対する任命権と弾劾権を活用した司法への統制
・裁判官の任命権と弾劾権を行使する際のルール
多くの民主国家において司法への統制は立法府や行政府が裁判官の任命権や弾劾権を行使することによって行われるが、それらの任命権や弾劾権には十分な制約が必要であり、同時にその権限を持つ者は自らその力を悪用しないように努めなくてはならない。それらの権限は司法としての役割を適切に果たせる人間を裁判官という地位に就かせるために活用するべきであり、後に紹介する違憲審査等において自らに都合のいい判決を下す者に司法権を握らせることを目的として用いるべきではない。

また、私を含む大多数の一般国民は裁判官を適切に選出するための能力や司法の専門家の助言を得るための体制を十分には備えていない。従って、司法府の人員の任命は民衆ではなくその代表者が専門家の助言を尊重しながら行うようにしたほうが良いだろう。

・裁判官の不当な増員あるいは減員
裁判官の人数を変更する力と裁判官の任命権を持つことに成功した個人あるいは集団は、違憲審査権を持つ裁判所の裁判官の人数を増やし、あらたに増える分の裁判官を自身の方針と合致する者に置き換えることで、違憲審査の結果を自身にとって都合のいいものにすることが可能である(あるいは裁判官の人数を減らすと同時に自身の方針と合致しない裁判官を辞めさせることによっても同じことができる)。しかし当然そのようなやり方は司法による公正な判断を脅かすものであり不適切である。そのため政府が違憲審査を行う権限等の強力な力を持つ裁判官の数を増やしたり減らしたりしようとするのであれば、それは次の選挙以降に選挙を経るごとに少しずつ裁判官の人数を変動させることで行うようにするか、その他公平性が保たれる方法で裁判官の増員あるいは減員を実施することを受け入れることが必要である。

・裁判官の任期
裁判官の任期は短すぎれば司法の独立が脅かされるし、長すぎれば司法への統制が機能しなくなる恐れがある。法の非専門家かつ裁判官未経験者である私の考えによると、司法の違憲審査権がより強大である権力分立体制(司法が後に解説する抽象的違憲審査を行える体制等)を採用する場合には、その権限を有する裁判所の裁判官の任期は、その間にその任命権を持つ機関を選出するための選挙が複数回行われるが、終身ではない程度の長さ(10年から15年程度か?)が良いのではないかと思う。また、違憲審査権を行使する裁判官の再任は、裁判官が再任を決定する権限を持つ機関に都合のいい判決を出し始めることを防ぐため禁じることが好ましい。

◇日本における裁判官の任命と裁判官の弾劾(任命と弾劾の詳細なルールの一例)
日本では実質的に行政府である内閣が裁判官の任命権を持ち、立法府である国会が裁判官の弾劾権を持つ(※正確に言えば、最高裁判所長官は形式的には天皇が任命するのであり内閣が持つのは指名権である。また、国会にできるのは直接裁判官を弾劾することではなく弾劾裁判所を設置することであり、更には弾劾が容認される理由は限定的なものとなっている)。

・裁判官の弾劾

・裁判官の任命

・国民による裁判官の審査
日本は世界でも珍しい国民が裁判官を投票で罷免することが可能となっている国家である(※ただし今まで国民の判断で罷免された裁判官は0である)。私はこの仕組みは国民の多数派による横暴がまかり通る原因になる恐れがあることからどちらかと言えば適切ではないと捉えているのだが、同時に国民が裁判官の任命権まで直接的に保持するわけではないことから現時点ではとりあえずそれをわざわざ積極的に廃止する必要性はないとも考えている。日本国民は今後法の専門家が特定の裁判官が適任ではないとの警告を発した場合それが十分に妥当なものであると確認できたのであれば、その裁判官を辞めさせるようにすると良いだろう。とりわけ行政権が横暴な手法によって裁判官を任命した場合にそれを国民が罷免するということは国政に良い影響を与えると思われる。ただし今後国民の政治参加の意欲が高まりその結果かえって国民が直接的に裁判官を審査する制度が悪い方向に作用したのであれば私はその制度を修正あるいは廃止することを支持する。

 

司法権の限界とその拡張

統治行為論、司法消極主義、特別裁判所と憲法裁判所

 

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