世界の基礎+α

世界の平和を実現するための方法を考えます

立法、司法、行政の三権を用いた権力分立(書きかけ

この記事は書籍「世界の基礎」の一部です。

kanayamatetsuya.com

 

 

この節の概要

既に述べた通り多くの民主国家では政治権力を立法権、行政権、司法権の三つに分ける政治体制が採用されている。そして、それらの権力の内容は国によって差があるが、概ね立法権は法律を制定する権限であり、行政権は法に基づいてあるいは法の範囲で政策を実行する権限であり、司法権はある人が法律に違反したかどうかを判定する権限と憲法に違反する法の無効化を行う権限である。ただし、以上の権力はいずれも憲法に定められるルールに従って行使されなくてはならず、憲法の作成と修正は主に立法権を有する機関と国民によって行われる。

権力分立に関する私のここまでの話を聞いて「もしかすると権力分立体制構築の際には政治権力を以上の三権とは全く違った複数の権力に分割することもできるかもしれない」と考える者もいるかもしれない。だが、私は仮にその可能性が実際にあるのだとしても、これから新しい民主国家を設立しようとする人々には「根本に既存の立法、司法、行政の3つに政治権力を分ける考え方を採用し、そこに自国の状況に合わせて適切な修正を加えた制度」を用いることを推奨したいと思う。何故ならばその手法は既に多くの国家において完全ではないにしろ十分にうまく行くことが検証されており、それを採用することで全く新たな三権を作る場合よりも成功する可能性の高い制度を作ることができると考えられるからである。

以上を踏まえて私はこの世界において今後も少なくともしばらくの間は立法、司法、行政の三権を用いた権力分立ついての情報が重要となる可能性が高いと予測しているため、この節の以降の部分ではそれらの権力の在り方とそれらの権力の間における相互抑止の方法についてより具体的な解説を行っていきたいと思う。

 

三権の全体像

なぜ立法、行政、司法の三権か

◇三権成立の概要
間接民主制を採用する国家においては、政治権力の運用者として「国民によって選ばれた多数の者から成る集団」と「その集団あるいは国民によって選ばれた少数の者からなる集団あるいは個人」が定められるところまでは強い必然性があると思われる。このとき、前者は国民の多様な意志を反映するために多人数となり、後者は行使の際に迅速な判断が必要となる政治権力を運用するために少人数となる(※後者に相当する組織は複数作られる可能性がある)。また、そのような体制を採る国家においては「前者が後者に対して監視と統制を行う役割を担うこと」及び「前者内部の多数派による横暴を阻止するための仕組みが作られること(それが独立した司法府の設立であるかどうかは不明)」もおそらく確実である。


◇本質的観点に基づく三権成立の説明
・立法府の設立理由
もし民衆によって選ばれる代表者が単一個人のみである間接民主制国家があるとすればどうなるだろう。そのような制度の下では、実際には採用される選挙制度にもよるが、単純に考えると、51%の人に支持される候補者Aと49%の人に支持される候補者Bがいた場合にはAの方が当選することになる。そして、そのことは、Bの支持者がAの支持者と同様に社会の半分近くを占めるにもかかわらず次の選挙までの間政治家を通した政治への意思の反映の度合いが著しく制限された状態に置かれることを意味する。また、民衆によって選ばれる代表者が個人でこそないが少人数である場合はどうなるだろう。その場合は、代表が個人であるときほどではないがやはり政治に反映されない民意は大きなものとなる。何故ならば、すでに選挙に関する解説の部分で触れた通り、民衆が選挙で選ぶ代表者の数が少ない場合、民衆が自身の方針により一致する候補に票を投じても、その候補が落選することが多くなるからである。

以上のような民意の反映が不十分である制度を採用すると、社会に蓄積される政治的不満が大きくなることで国家は不安定化する。ひどい場合には国家の体制が転覆させられる恐れすらあるだろう。従って、間接民主制を採用する国家では、多数の人間から成る政治権力機関(以降「議会」と称する)を作ることが必要である。さらには、少数派であってもその人口の大きさに応じて多くの人間をそこに送り込めるようにし、その機関が政治に十分な大きさの影響力を及ぼすことができるように制度を作らなくてはならない。

 

・行政府の設立理由

民衆の不満の過大化を避けるためにも、間接民主制国家において多人数からなる集団が政治権力を握ることは必要不可欠である。だが一方で、政治権力の運用者としては少人数から成る組織(以降「執行機関」と称する)も必須である。何故ならば公務員に直接的に指示を出す権限が議会のような意思決定に時間のかかる機関(※1)占有のものとなるとき、その権限を有する者が公務員に出すことが時間的制約から不可能となり、公務員に対する政治家からの統制が疎かになったり公務員が非効率にしか動けなくなったりするからである。その問題に対処するためには、議会とは別に個人あるいは少人数からなる組織を設立し、公務員に直接的に指示を出す役割をそれ任せることが必要である(ただし、部分的にであれば議会がそれを行えるようにすることも可能であるかもしれない)。また、外交の場での交渉も議会の議員全員で行うことはできない。従って、直接的な外交の役割もまた個人あるいは少人数の代表者のものとしなくてはならない。

以上の理由から作られるのが執行機関である。執行機関は迅速あるいは詳細な判断が必要となる政治的な業務を担うための機関である。以上の役割は無理に議会に任せるのではなく議会によって選出された政治家としての能力がより高い者に任せた方が、現実的で効率的である。

ところで、執行機関の役割は今述べたとおりであるが、議会は一体どのようにして政治に関わるのだろうか。私は議会が政治にかかわる方法としては、執行機関にルールを課すことがあると考える。議会が執行機関に対して「政権運用に関するルールを課すこと」及び「そのルールに強制力を持たせること(※2)」ができるようになっていると、政治の在り方を議会が決められるようになるはずである。また、議会は社会全体にルールを課すことによっても政治を行うことができる。その権限を用いることで社会の秩序を維持することも議会の役割である。なお、以上の議会が有する「執行機関を統制するための法」と「社会の秩序を維持するための法」を作る権限は立法権と称される。

 

※1:議会の意思決定は多数の議員の賛同によって行われるようにしなくてはならない。何故ならばそうしなければ、結局政治に反映される意思が少数となるからである。しかし、そのように組織の意思決定にその内部の多くの人の賛同が必要であることは、当然その組織の意思決定速度が遅くなることを意味する。

※2:議会がこれを実現できるようにするための方法としては、執行機関が議会によって課せられたルールに従わない場合にはそれに解任等の制裁を与えられるようにすることが考えられる。また執行機関構成員の不逮捕特権がその任期外にまで及ぶわけではないのなら、それは法的な制裁によっても統制できる。

 

・司法府の設立理由
立法権はそれ自体が他機関に対する強力な抑制権である。立法府がその権限を無制限に行使できる状態になっているのであれば、それは他の政治権力機関が自機関への抑制権を行使することを封じる法律を作ることで権力分立を破壊する可能性があり、更には立法府内部の多数派が少数派の反対を押し切ってそれらの権利を縛る法律を作る恐れがある。

以上のような問題に対処するための方法が立法府と行政府の双方から独立した司法府の設立である。人々が政治家が守るべき政治権力の行使に関するルールを憲法の作成によって予め明らかにしておき、立法府(あるいは立法権の一部を持つ行政府)がそれに違反するような法律を作った場合には司法がそれを無効化できるようにしておくのであれば、立法権が暴走することを防ぐことができるようになる(具体的にどのようにして法律を無効化するのかについては後の司法の項目で触れるものとする)。

もちろん司法府による政治権力への統制も完全に公正ということはない。何故ならば現状は民衆によって選出される立法府や行政府が、後述する理由により民衆によって選出されない司法の在り方を決める権限(裁判官の任命権や弾劾権等)を持つことは司法の民主的正当性を確保するという観点から避けられないことであり、そうである以上司法の方針に立法府や行政府の意向が影響することは必然となるからである。しかしそれでも司法権を握る者の任命や弾劾に適切なルールを課し、後に触れる司法の独立が実現され、司法府の在り方に関する決定権を握る者が将来の政権の横暴を防ぐことも考慮してその権限を行使するのであれば、司法による立法や行政へのチェック機能をないよりはまし程度のものにすることはできるだろう。

立法府、行政府、司法府の統制関係について

私は独裁国家のみならず民主国家においても立法府、行政府、司法府が対等であることは絶対に必要なことというわけではないと認識している。おそらく、国家の政治体制を国民によって直接選ばれた多数の議員が構成する議会すなわち立法府がより強い政治的権限を持つような形にしたのだとしても、それが直ちに民主主義の破綻に繋がることはないだろう。実際にイギリスはそのような考えに基づく制度を採用しているが民主主義は維持されている(※とはいえ2000年以降には司法の独立が推し進められるなどの改善はある)。ただしそのように議会主導の体制を実施するのであれば議会内での権力を十分に分立させることが必要である。また、やはりその場合であっても全く立法府が外部権力機関からの統制を受けないことは避けたほうがよいだろう。立法府が政治において主導的地位に就けられるのだとしても、行政府や立法府から何らかの抑制が行われるようにしなくてはならない。

補足:議会内での権力分立を実現する方法としては「議員を多人数にしたうえで、各議員の権限を平等にし、各議員の自律を保つこと」や「議会の意思決定のうち特定の条件を満たすもの(※憲法の改正や司法府の構成員の任命のように議会多数派の強権化につながるリスクのある決定)については、全議員の過半数ではなく三分の二の賛同がなければ行えないようにするなどして、議会の多数派が少数派を力づくで抑え込むことを困難にすること」が考えられる。


議院内閣制と大統領制

※以下には私個人の独断と偏見が多く混じっていることを最初に断っておく

大統領制は立法府の構成員と行政府の構成員の双方が国民自身によって選出される制度である。その仕組みは特定の政治権力機関による独裁を防ぐことを重視して作られたものであり、各政治権力機関が持つ権力は権力分立を厳格にすることで厳しく制限されている(しかし大統領制はやたら独裁化するケースが多いように思われるが気のせいだろうか)。

それに対し議院内閣制では国民が自ら決めるのは立法府の構成員だけであり、行政府の構成員については立法府によって定められることになっている。そして、その制度の下ではそれらの機関の間の権力分立は大統領制と比較すると厳格ではない。何故ならば根本的な理念として、議院内閣制における行政府は立法府が自身が運用するのには向かない権限を政治権力運用の効率化を目的として委任するために作った組織にすぎず、立法府への抑止を働かせることを目的として作られたものではないからである(このとき想定される立法府と行政府の関係は後者が前者の統制を受けつつもそれらがお互いに協力しながらより良い政治の実現を目指すような関係である)。そうであるならば、内閣が議会から分離していることの必要性は小さくなる。また、そもそも議院内閣制における行政府は民衆によって選ばれたわけではないという観点からもそれが立法府からより強い関与を受けることは好ましいことであるといえるだろう。従って議院内閣制を採用する国家においてはある人が立法府と行政府の双方に属することも容認あるいは推奨されるのである。

・大統領制と首相公選制の違い

議院内閣制における首相の権力はその人の議会の支持を得る能力が高い場合には強大なものになり得るものの、制度的に認められる範囲では首相が民衆によって直接的に選ばれたわけではないことから大統領制における大統領の権限よりも小さくなっているのが通常である(※議院内閣制の首相は議会の協力なしで行使できる権限が少ない)。従って議院内閣制の国において単に首相を国民が選べるようにするだけであれば、大統領の権限を弱めた大統領制のような制度が実現することになるだろう。しかしもし首相の民衆による選出を実現すると同時にその権限を制度的に強化するのであれば、それは実質的に制度の大統領制への転換となる可能性がある。

・多元代表制
政治権力機関の数を三つ以上にする場合には、国民によって構成員が決定される政治権力機関の数も三つ以上にすることができる。しかしそのように国民が自ら判断する事項の数を多くすればするほど、国民がそれら事項の内の一つに割くことができる時間が減少し、人々による政治的決定の質が低くなる恐れがある点には注意しなくてはならない。


個人的洞察:私は個人的には大統領制のように行政のトップを国民が直接選ぶ制度よりも、議院内閣制のように議会がそれを選ぶ制度の方が好ましいと考えている。なぜならば政治に対する理解がより高度である集団によって行政権を担う者が選出された方が、能力が低いあるいは民主主義への理解が浅い人間が政権を運用することを阻止しやすいからである。もし大統領制を採用するのであれば国民が選挙において不適切な人を選ぶことを防止する仕組みを導入した方が良いだろう。あるいは議院内閣制と大統領制を併用するような制度も悪くないかもしれない。ただし私は現時点ではわざわざ日本の国政に大統領制を取り入れる必要性は感じていない。また、地方政治においても各都道府県の知事を直接選挙で選ぶのはやめたほうが良いのではないかと考えている。

 

立法府

立法府の役割

立法府の役割は主に法律を作ることであるが、通常はそれ以外にも予算の審議及び議決、行政府が他国と結んだ条約の承認、憲法改正の発議等を行う役割も担っている。また、行政府への統制を行うのも立法府の仕事である。

法律の制定、条約の承認、憲法改正の発議

◇法律の制定について

立法権はそれ自体が他機関への抑制権であり、それは行政を統制するためにも使われる。内閣に政令を作る権限を認める際にはその範囲を明確に限定するように

 

◇条約の承認について

日本では行政府が他国と条約を結ぶ際には、議会の事前あるいは事後の承認が必要である。ただし、一度他国と結ばれた条約が後から否定されることは、条約を結んだ国の信頼を損ねることに繋がるため、条約を結ぶ際は緊急の場合を除き事前に議会の賛同を得ておくべきである。

 

◇憲法改正の発議

憲法改正を行う権限は、国によっては大統領が有することもあるが、普通は議会が有している。また、これも国によって違うが、憲法の改正は、議会がそれに賛同しても、国民の投票による賛同がなければ実現できなくなっていることが多い。

日本ではすでに触れた通り、衆議院と参議院のそれぞれで総議員の3分の2の賛成があった場合に憲法改正の是非を問う国民投票が行われ、国民投票で投票者の半数を超える賛成があった場合に憲法が改正される。この例では、憲法改正の際に必要となる賛成の割合が、議会では各院で総議員の3分の2という厳しい水準となっていることで望ましくない憲法の改正が行われる確率は低下し、国民投票では投票者の過半数という緩い水準となっていることにより望ましい憲法の改正が否定される確率も低下している。ただし、後の二院制の部分で詳しく解説するが、私は衆議院が完全な比例代表制によって選出される場合には、参議院の賛同がなければ憲法改正を行えないという部分については変更する余地があると考えている。

予算の審議及び議決

予算とは、収入や支出の計画である。議会の役割は法律を作ることだけではない。そのうちには国家の予算の審議及び議決も含まれる。議会は行政府によって提出された予算案について審議し、修正するべき点があるならどのような修正を行うべきかを示したうえでそれを否認し、そうでない場合はそれを承認する。承認されなかった予算案は実行することができない。このとき、最初の予算案自体は行政によってつくられるのは、議会は政策の実行のされかたの詳細は把握しておらず(※1)議論に時間もかかるため、詳細な知識に基づいて多岐にわたる決定をすることが必要となる予算案の作成を担当することは難しいからである。

予算の議決権が議会に有されているのは、国家の資産は民衆全体によって構築されたものであるため、その使い道の最終的な決定権は民衆全体の代表である議会が持つことが望ましいからである。また、法律ほどの強制力はないが、国家資産の活用権は人を大規模に動かす手段として使えるため、少人数によって構築される行政府がそれを持つことは独裁化を招き好ましくない。従って、行政府が国家資産を議会の承認なしに勝手に用いることは憲法や法律で禁止しておくことが必要である(※通常は予算に関する重大な規定は憲法によって定められる)。

※1:議会は政策の実行段階のどの動きにどの程度の資金が必要となるのかを把握していない
。行政権の担当者自身もそれは同様であるが、財政を管理する官僚組織との議論及びそれへの指示によって詳細な予算案を議会に提出することが可能となる。

◇予算の議決に関する権限が特別に重視される理由
立法権があれば、法律によって行政府や国家資産の管理組織を縛るなどの手段によって、予算を決定する権限を議会が保有するものとすることは可能であると思われる。しかし、それにもかかわらずなぜわざわざ日本の憲法では予算の議決権に関する規定を立法権に関する規定とは別に置いているのだろうか。私はこのことについてそもそもそれが不当である可能性まで含めて考察してみたが、そのようになっている理由はおそらくそれだけ予算に関する政治的な権限が重大なものであるからだろう。国家資産を動かす権限は人々を立法権を行使した場合に次ぐほど大規模に動かすことを可能とする手段である。そのような重大な政治的権限に関する規定は、予め改正が容易ではない憲法に設定しておき、さらに不当な改正をされないように細心の注意が払われなければならない。そうしなければ、権力の分立は阻害され、独裁化のリスクは高まることとなるだろう。また、憲法に議会に予算に関する権限を明確に認めておくことは、うっかりその権限を行政府に渡すような法律が成立した場合にも、それを違憲審査によって無効化することが可能という点でメリットがある。

◇議会の予算審査能力向上

アメリカでは1974年に議会の予算を審査する能力を向上させるために、議会予算局が作られた。これによりアメリカの連邦議会は行政に頼らずに予算に関する情報を集めることができるようになった。

 

任命権と解任権による行政府統制

議院内閣制の国家では議会は首相の任命権及び首相解任権を持っている。また、行政権という権力は強大であるためそれを外部から辞めさせることが全く不可能となるような制度は好ましくない。従って、大統領制においても議会は議院内閣制よりもそれが認められる条件が厳しいものの弾劾によって大統領を解任する権限が備わっている。

行政府への監視

議会は行政府を行政権の乱用を防止するために調査する権限を有する。調査は、文書や証人による証言などを獲得することによって行われる。また、議会は必要に応じて、行政府を監視するための専門機関を設立する権限を有するべきである。

◇文書
議会は行政府や公的機関が保有する文書を獲得する権限を有する。また、議会は、それらの機関に法律によって、「職務上作成した文書の保管」や「議会が行政を監視するために必要な情報をまとめた報告書の作成及び保管」を義務付けなくてはならない。その保管を義務付けなくてはならない。また、その際には、保管される文書に最低保存期間を設定し、それらの改変を防ぐための仕組みを導入する必要がある。

◇証人召喚
証人を召喚する際には、証人に召喚に応じることを強制できるようにしなくてはならない。また、事前に定めた例外に当てはまる場合を除き、嘘をついた証人を処罰できるようにしなくてはならない(これは議員の発言免責の例外であり、議員にも適用される)。証人が受け答えを拒むことについては、これも例外の場合を除き処罰できるようにするべきである。ただし、証人の召喚は参考人の招致とは別であり、参考人には招致に応じないことや質問に答えないことが認められ、さらには嘘をついても処罰されるべきではない。

立法府の基本的体制

・議員数の理想値
各国の最適な議員数は人口に比例する形で決まるわけではない。人口が10倍の国では特定の思想を持つ人の数も10倍とまではいかずとも相応に増加することになるからである。しかし、もちろん領土内の各地域の性質の差が大きな国や居住する民族が多様である国は、議会で代表されなくてはならない意思の種類も増加するため、議会の総議員数は相応に増加させることが必要である。

議会の議員数は過小であってはならない。議員数が過小であれば、各選挙区の定数が減少し、それらの区域において少数派の意思が選挙結果に反映されなくなるからである。一方で、議員数を過度にすることも望ましくない。何故ならば議員数が過度であると議論の効率が低下し議会の維持コストも肥大化するからである。また、議員数の過大は、能力の低い議員の当選を容易化する恐れがある。

 

・適切な議員数の設定手順
議会の議員数を定める場合には、まず国家の領土を複数の選挙区に分割すると良いだろう。その際、各選挙区はできるだけ特性の近い近隣の地域同士がまとめられたものとなるようにする。そうすれば、主に自身とは異なる思想を持つ地域によって構成される選挙区に組み込まれることで、選挙結果に影響を与える力のない少数派として意見を実質的に抹殺されることになるような地域が減少する。そして、それらの選挙区に対しては少数派を排除しないために十分な大きさの定数を設定するべきである。

以上のような手順で議員数を定めた結果総議員数が多すぎる状態となりそうな国家は、まず選挙区数を減らすか各選挙区の定数を減らすことによってそれに対処しようとするだろう。しかし、それでは民意の反映の程度が過小化するのであれば、制度の設計者は国家政府の役割を縮小し、縮小された分の役割を地方政府に任せるようにするべきである(※1)。そうすれば、民衆が国家の議会に反映させなくてはならない意思は減り、その分選挙区の統一や定数の削減によって議会に反映される民意の種類が減少することを受け入れられるようになる(※2)。

新国家設立の際には、自国と規模や性質が近い国家を参考にすることで、議会の議員数をより適切に定めることができるようになる。参考にできる国家がない場合は、とりあえず議員数を過小でも過大でもない無難な値に設定しておき、後程現実に合わせてその数を調整するようにすると良いだろう。なお、後に議員数を削減しようとする場合は、段階的にそれを行うことが必要である。議員数の急速で大幅な削減は、より多くのその地位を失うことを恐れる議員を作り出すため、容易にはできない可能性がある。

※1:ちなみに分割された国家権力の一部は、複数の国家を束ねる連邦政府を作成しそれに移譲することもできる。そのようにすれば、多数の国家が統一的に行動することが望ましい場合に国家間の連携を強化できる。

※2:複数の選挙区の統一に民衆が反発することがあるとすれば、それは自身の特定の願望が統一される対象である他の地域の意思で圧殺される恐れがあることが理由である。しかし、地方分権が強化された場合、国政選挙における選挙区が統一されたのだとしても自分の地域のことを自分自身で決められる側面が大きい状態を維持できるため、選挙区の統一に対する民衆の不満は小さくなる。

 

・任期
任期の長さは政治家の実体験や最適な任期に関する研究をもとに決めることになる。その際は、任期が長すぎると民意が反映されなくなるが、任期が短すぎると政治家が有意義な活動を行えなくなるという点に注意するべきである。そして、理論に関してはともかく実際の政治については十分に把握していない私が明確な根拠を以って理想の任期を具体的に示すのは困難であるが、私は現時点では衆院4年、参院6年の任期は妥当であると考えている。だが、解散が過度な頻度で行われることは抑止されるべきであり、任期の微調整が将来的に必要となることはありうる。

 

・議会内統制

議会がその内部の規律を維持するためにも、議会にはそれを乱す議員に罰則を付与する権限が付与されるべきである。ただし、議会内の多数派が少数派を不当に排除することを防ぐためにも、議会からの除籍などの重たい処罰については議会内における特別多数の賛同を必要とするべきである。

 

・議会の自己解散

議会は時に、自らの意思で自身を解散する権限を有することがある。その権限を行使することで、議会は解散され、再び議員を選出するための選挙が行われることになる。イギリスの下院はその権限の行使には議会の3分の2以上の賛成を必要としていた。

 

・不逮捕特権について(行政府と司法府の不逮捕特権の有無についてもここで語るものとする)

議会の議員や行政権の保有者(内閣や大統領)はその内部の対立派閥や司法を含む外部からの不当な統制を防ぐために不逮捕特権を有するべきである。司法府の不逮捕特権については、おそらく司法が自らの裁判権によって外部からの不当な刑罰を免れることができることから必要ない。ただしこれは司法府の人員が公正に選ばれていること(※1)や及び検察や警察が健全に機能していること(※2)が条件である。

なお、不逮捕特権とは政治家が職務を遂行する資格を有する期間の間に不当に逮捕されることを免れるための特権であるが、任期を終えた後(議会に会期がある場合は会期以外の期間)や現行犯の場合にはその特権を有する者であっても逮捕することは容認される。さらに、議会で全議員の3分の2を超えるような賛同があった場合には、任期中であっても政治家を逮捕することができるようにしなくてはならない。以上のようにするのはそうしなければ政治家の犯罪が野放しになるからである。また、不逮捕特権は身体的拘束を免れるためのものであり、訴追されることを防げるわけではない。

注意:私の不逮捕特権に関する解説はこの書籍の中でも特に検証が不十分な部分であるため鵜呑みにするべきではない。

※1:司法府内部において多数派が少数派を自己都合で排除するような状態では、不当な訴追を受けた裁判官が保護されない可能性がある。司法の人員が立法府の特別多数の賛同によって選出される場合は、それを抑止できる。

※2:検察や警察が裁判所の判決や決定によらずに不当な理由で裁判官を拘束できる場合、司法が外部からの統制を自らの意思決定で阻止することはできない。そのような事態を防ぐ方法は私が忘れてなければ本著の後の部分で解説する。

 

・発言免責

議会の議員は、議会内でどのような発言をしても法的な制裁を課せられないようにするべきである。何故ならばそうしなければ政治的に必要な言論が多数派によって作られた法律で制限される恐れがあるからである。ただし、議員の発言に関する免責特権は、法的な制裁に対抗するためのものであって、批判やその他の政治的責任から免れるためのものではない

議論の体制

 

政党

注意:本著の政党に関する解説は、私の脳内洞察の結果をまとめたものにすぎず、現実の政党の在り方に関する調査に基づくものではない(調査は多少は行ったが正直よくわからなかった)。従って以下の記述は現実を捉えない全くのでたらめとなっている恐れがある。

○政党とは何か、政党の成立過程、政党の存在意義
政治に特定の思想を反映させようとする人々の集団は、その目標を達するための組織すなわち政党を結成する。そして、政党は、選挙において候補者を擁立しその人を当選させるための活動を行なったり、選挙で当選し自党の議員となった者の政策立案やその他の活動を補佐したりする。時に、民間ではなく議会から、無所属の議員や政党から離脱することを決定した議員が組織を結成することで、政党が生じることもある。

政党を結成する理由は、人は多人数で協力することで、効率的に物事を推し進めたり、より大きなことを達成できたりするからである。たとえば、議員10人がそれぞれ10個の政治領域を把握しようとするとき、各議員が一人でそれらの政治領域すべてを把握するよりも、10人で協力して一人一領域ずつ調査を行い、その結果を情報交換によって共有した方が効率的である。ただし、大きく異なる思想を持つもの同士では、意見をまとめることが難しく、協力して行動を起こす段階にまでは至れないため、政党の結成はある程度近い思想を持つ者同士で行われる。異なる意見同士の最終的な調整は各政党内で意見をまとめた後に議会で行われる。

○構成員要件
政党は、その構成員を募集する際に、自党の方針を維持するために、自党の方針と合致することを入党の条件とすることができる(ただし、政党次第で志願者に対して入党審査を行うかどうかは変わる)。しかし、その際に賛同を求める方針の量は過度とはならないようにするべきである。党の本来の目的を達するためには確かに党内の共通性も確保しなくてはならないが、党内の多様性もまた党の意思決定の質を高めるためには重要である。

政党に所属することを求める者は、自身の方針とより合致する政党を所属先として選ぶと良いだろう。その際の評価対象には各政党が支持する思想の傾向だけではなく、党内の体制も含まれる。もし、既存のどの政党も自身の方針とは合致しないようであれば新たな政党を作ることを考えるべきである。

もしかすると、少人数からなる政党は多人数からなる政党や思想集団に多くの人員を送り込まれることで内部の意思決定(党内の党首を選出するための選挙等)を乗っ取られる恐れがあるかもしれない。そのようなことを防ぐ方法としては、政党に所属することを求める者に対して審査を行い、審査対象が信用できないあるいは自党の方針に合致しない者であった場合にその人を党員として認めることを拒否することが考えられる(特に他党の構成員であった議員に対しては現在自党と合致する方針を持っていることを確認することの必要性は高い)。ただし、過度な入党審査は党内の思想的多様性を弱め、党の意思決定の質を低下させる恐れがあるという点には注意が必要である。また、実際に乗っ取りが起こってしまった場合は、新たな政党を立ち上げることで対処できる。

政党の構成員は、複数種類に分けることができる。政党が党首選挙で票を投じることができないあるいは効力の小さい票のみを投じることができるような権限の弱い種類の党員や党外の支援者を募集する際には、自党の方針により強く合致することをその志願者に求めることの必要性は小さくなる。

政党が候補者を擁立する際は、公募によって、候補者をその党内からではなく、党外から選ぶこともできる。そうすることで党外の優秀な者を政治家にすることができるようになる。


○党の分離と合併
議論が尽くされた結果、複数の政党の差異がほとんどなくなった場合、それらの政党は合併することを考えるべきである。逆に政党内で現在の自党の方針と著しく合致しない状態となった議員集団は新たな政党を作ることで、政党を分離させることを選択できる。


○政党内体制

 


○政党の理念や公約の設定及び変更
政党の綱領(こうりょう。政党の基本的な理念や方針を示すもの)や公約(選挙時に政党や候補者が投票者に実現を目指すことを約束する政策)は、それらを設定する際や変更する際には、相応に多くの議員の賛同を必要とするべきである。投票者は政党への投票がある選挙制度においては、各政党の綱領や公約(及びそれらの内部体制や実際の行動)の情報をもとにどの政党に投票するのかを決める。しかし、実際には党内で少数派に支持されているに過ぎない方針が政党全体の方針として掲げられていると、投票者が自身の考えと合致しない政党に誤って投票させられたり党がその信用を損なったりする恐れがある。

 

○連立政権
議院内閣制の国家においては、内閣が安定して権力を握り続けるためには、不信任決議が行われることを防ぐためにも、内閣が議会の半数以上の支持を受け続けることが必要である。一方で、選挙において完全な比例代表制を採用した場合には一つの政党で議会の過半数の議席を得ることは困難である。従ってその場合に内閣が議会の支持を安定して得るためには、複数の政党が協力することが必要である。

複数の政党が以上の目的から協力するためにつくる集合体が連立政権である。連立を組むの際には、連立内の各政党が守るべき連立を組みそれを維持するための条件を明らかにし、その条件が満たされないことに対しては連立の解消によって対処する。また、連立政権内の少数派政党は、連立政権内の多数派政党が自党の意思を顧みない場合には、連立を解消して他の党との協力体制に移行するという脅しをかけることができる。もっともそういった脅しを安易に行うような政党は信頼を得られず連立の要請を受けることが難しくなる。

 

二院制

国によっては議会は二つの院に分かれている。そして、それらの関係は片方が議会の主たる意思決定者となり、もう片方がその意思決定に修正を加える役割を担うものであることが多い。前者は国民全体の代表としての側面が強いのに対して、後者は「地方の意思」などの特別に政治に反映させなくてはならない意思があるときにそれを政治に反映させること等を目的として設立される。以降では、主たる意思決定者である院を第一院、副たる意思決定者である院を第二院と称することとする。

二院制は議会に必須の仕組みではない。地方が国政において強い権限を持つ必要性が小さい国では、地方の代表機能を担う第二院が廃止され一院制へと移行することがある。

 

◇第二院に存在意義を持たせる方法
もし第一院と第二院の構成がほとんど同じようなものであれば、第二院は単なる第一院の追従者となることが多くなり、その維持のために必要な費用に見合うだけの役割を果たさなくなる。従って、第二院を設立するのであれば、それに第一院とは違った性質や役割を持たせることが必要である。ただしもちろん第二院に存在意義を持たせるため無理にそれに必要のない役割を与えるぐらいならば、一院制に移行することを考えたほうが良いだろう。第二院はその存在が第一院だけしかない場合に生じる問題点を解決するために必要な場合に限って設立するべきものである。


◇第二院の種類
私は第二院の種類には以下のようなものがあると考える。ただし以下の分類は、二院制の形態全体を漏れなく重複なく示すものではない。また、実際の制度としては以下の形態の混合体制が採用されることもある。


・利害調整型

利害調整型は、一部の民衆の意思を特別強く政治に反映させることを目的として第二院を設立する型である。例えば、イギリスやかつての日本のように第二院の議員が貴族階級出身の者のみ(実際には優れた業績を上げた学識者などが一代限りで貴族に相当する身分となることもある)によって構成される制度や、アメリカのように各地域が第二院の議員の選出においてその人口にかかわらず同数の議員を選出できる制度が、それに該当する。利害調整型は、特権階級や人口が少数である地方の意思を特別に尊重する必要性が高い場合に採用されるものである。しかし、そのやり方は不平等さを含むため、できることなら採用しない方がよい。新国家設立の際に、政体の変更に反発する既存権力者や統一国家形成に消極的な地方の政府の賛同を得るためにやむを得ず第二院の議員を不平等な方法で選出しなくてはならなくなったのであれば、その院の権限は十分に弱められなくてはならない(連邦国家では必然的に連邦議会の権限は弱まるため、不平等な議員の選出が容認されやすい)。

ちなみに、日本では国会議員選出における一票の価値の格差を解消することは地方切り捨てに繋がる恐れがあるという理由でその是正に反対する者もいる(※現状は、地方の方が有権者数当たりの選出議員数が多いため、地方の票の方が価値が重い。しかし、地方の人口は都市部の人口より小さいため、総合的に見て必ずしも国政において地方の意思の方が強い影響力を持つわけではない)。そして、その問題には、「一票の格差を受容し、参議院の議席の一定割合については各都道府県が同じ数の議席を有する形式にしつつ、残りの割合は各都道府県の人口に応じてそれらに議席を配分すること」によって対処することができる。しかし、その方法は不平等さを含むため、私はどうしてもその問題に対処しなくてはならないのであれば、一票の格差を是正したうえで、「地方分権の強化」や「国政の特定の種類の政策に限定して地方政府にも決定権を持たせる(その決定権は参議院を通さずに行使される)」といった手段を用いることで対処する方がよいと考えている。

疑念:以上の見解には何か矛盾が含まれる気がする。地方の権限が強い場合は、国政の役割が縮小し、国家議会の選出が不平等であることが容認されやすくなる。同時に、地方の権限が強い場合は、国会の選出が平等であることが容認される。以上の見解は個別に見れば間違ってはいないのだろうが、全体で見たときの洗練度が低い。要するに、都市部であれ非都市部であれ国家の政体に不満を抱く地域があるのであれば、地方分権を強化することでそれを抑えらえるということなのだろうか。そして、その不満は、国家の政体の不平等さによってもたらされることもあれば平等さによってもたらされることもあるのである。自分でも何を言っているのかわからなくなってきたので、あとのことは読者が自分で考えてほしい。

 

・役割分担型
これは第一院と第二院の役割を完全に分けてしまうというものである。政治の特定の役割については第二院に、それ以外の役割については第一院に任せる二院制がこれに該当する。もちろん議会を三つ以上の院に分けることも考えられる。この制度を採用するメリットがあるとすれば、それは民意の反映度を向上させられること(※1)と、各院の専門性を高めることで政治の各事象がより専門的に議会で議論されるようになることである。ただし、その形態を採用する場合、もしかすると政治の各分野間の連携や調整が行い難くなる恐れがあるかもしれない。また、どの政治上の仕事がどちらの院の担当であるのかについて明確に決めるためのルールや手続きをあらかじめ定めることができなければ、実際の政治で特定の仕事を担当する院を決める際に政治的な混乱を生じさせる恐れがある。

※1:もし役割分担型を採用したのであれば、民衆は各院の議員を選出する選挙において、選出対象の院が担う仕事への適正のみを考慮して候補者を選ぶことができる。そして、それは、民衆が政治の各分野についてより自身の方針と合致する方針を持つ候補者を投票先として選べることを意味する。ただし、役割分担型の採用に伴い各院の議員数が減らされるのであれば、結局細部において妥協させられることは避けられない。


・第一院抑制型
この型は、第二院を第一院の権力の乱用を抑制することを目的として設立するものである。場合によっては行政府を抑制する役割もそのうちに含まれる。この形態では、第二院は第一院で賛成された法案を否定する権限などを有している。ただし、通常は第二院によって否定された法案は、第一院で再び議決を行いその際に出席議員の3分の2以上などの最初より多い割合の議員の賛同があれば強制的に可決されるようになっている。

 

第二院の議員はドイツのように、民衆ではなく地方政府によって選出されることがある。第二院の解散は、議院内閣制の国家においても認められないことが多くあるが、双方の院が解散されうる制度を採用する国家もある。第二院の役割には第一院が解散されている間に、第一院の代わりとして機能することが含まれていることがある。


◇日本二院制改革案
以下では私が考えた日本の二院制の改革案を解説する。

・形態
国民間で権限の大きさに差を生じさせる利害調整型はやむをえない場合に採用するものであり、避けられるなら避けた方がよい。役割分担型は、積極的に採用する理由が見当たらず、現状では検証不足である形態であるため、私はその採用を推奨しない。また、一院制は北欧より人口が多く議会に反映するべき意思が大きい日本では採用することの正当性はより小さい。従って、私は日本で採用する二院制は引き続き第一院抑制型のものとした方がよいと考える。ただし、部分的に役割分担型を採用することは容認する余地がある。


・権限
日本では第一院は衆議院と呼ばれ、第二院は参議院と呼ばれている。日本におけるそれらの関係は対等に近いものであり、そのため衆議院と参議院の過半数を占める政党が違う場合(ねじれ国会)、国会における意思決定が停滞するリスクは大きなものとなる。

私は現時点では、日本の衆議院選挙においては民意をより正確に反映させるために、議会の全議席の内、現在では純粋に小選挙区制によって選ばれている部分についても比例代表で選ぶ(ただし政党の候補者名簿内での当選順位を民意に基づいて決定するために小選挙区を併用する)ようにするべきであると考えている。そして、その場合に生じる議会内で政党が乱立することによる国会の意思決定速度が鈍化という問題に対処するために、参議院の権限をいくらか縮小することが必要であると考えている。

参議院の権限を縮小する方法としては、現在参議院が有する「衆議院が可決した法案の成立を否定する権限」を「衆議院が可決した法案の成立時期を遅らせる権限(遅延権)」に変換することなどが考えられる。その際は、衆議院がどうしても法案を参議院の意思に関わらず早急に成立させたいのであれば、議決に出席した議員の三分の二以上の賛成によって再びそれを可決しなくてはならないようにする。また、憲法改正における参議院の権限の縮小も検討されるべきである。それは、完全な比例代表制を採用しない現状でも難しい憲法の改正が、その採用によってさらに厳しくなることを防ぐために必要なことである(追記:よく考えてみると、両院とも比例代表制や移譲式によってのみ議員の選出を行う場合、二大政党制に見られるような短期間での極端な議会構成の変化が生じ難いため、著しい議会のねじれ状態を招かず、その結果憲法改正の条件が現在のままでもそれが困難とならないのかもしれない)。北欧のような一院制の国家では一つの院だけが憲法改正に関する権限を有していることで問題が生じていないことからは、憲法改正の権限を一つの院だけが持つことは現実的な選択肢であることが読み取れる。

ただし以上の参議院の権限の縮小案は、衆議院が比例代表制(それもドント式のように多数派の過大を招くようなものではない議席分配方法)によって選ばれることが保証されていることが条件である。その条件が満たされない場合には、特に参議院の憲法改正の権限を縮小することは、少数派の弾圧を阻止するために認められない(法案の成立に関する参議院の権限については依然として縮小の余地があるかもしれない。何故ならばそもそも対等型に近い二院制を採用する現状でも両院が小選挙区制によって多数派の意思が過大に反映されており、第一院で完全比例代表制を採用するのであれば第二院の権限を弱体化させたところで総合的な権力乱用リスクに大きな変動は見られないと考えられるからである)。


・選出方法
参議院議員の選出方法は、当選確定候補の超過分の票と落選者の票の両方を他の候補に移譲する移譲式の得票数順当選制を採用すると良いだろう。そのようにすることで、民衆が選挙の際に政党の候補者名簿に縛られずに候補者を選んだり、政党に所属しない候補者を選んだりすることができるようになる。そして、そのことは、民意を参議院とは違った形で政治に反映させる効果と、政党の政治における権限を抑制する効果を生じさせる。

ただし、参議院の議員を以上の選出方法で選ぶことにはデメリットが存在する。そのデメリットとは、当選者が政党による監督を受けないことで政治に関する理解が不十分である状態となる可能性が高くなるというものである。従って、以上の方法で参議院議員を選出する場合、その権限は抑制的なものとなるようにしたほうがいいと私は考える(ただし、私が政党の監督を受けなかった場合に生じる議員の能力の低下を過大評価してる恐れがある点には注意が必要である)。先ほどの参議院の権限の改革案は、その考えを前提として定められたものである。


・実際の変更の手順と可能性
以上の改革案を実現することは、そのためにいくつかの憲法改正を行うことが必要となるため容易ではない。そのため、もしかするとその改革案を実現することが妥当である場合にも、それを一挙に実現することはできないかもしれない。その場合、まずは憲法改正なしで行える衆議院選挙の完全比例代表制化と参議院選挙の移譲式化のみを行うようにし、その結果日本の政治的意思決定の速度の許容し難い低下を招いた場合に限り憲法改正によって参議院の法案の成立過程における権限の縮小を行うようにすると良い(ただし、やはりこの方法は意思決定速度の過度な鈍化を招く恐れがあるため、避けられるなら避けるべきである)。あるいは、衆議院の選挙制度を現状のままもしくはわずかに比例代表制を拡大したものや占有倍率最適化法による完全比例代表制化を達成したものとし、参議院の選挙のみを先述のとおりに変更することも考えられる。

 

行政府

行政府の役割

行政府の役割は立法権による統制の範囲内で政策を実行することである。その具体的な役割は国によってさまざまであるが、多くの国に共通してみられる役割としては法律の執行、外交の実施、条約の締結(事前あるいは事後に国会の承認を必要とする)、法律に基づいた行政機関の設置、予算案の議会への提出、恩赦の決定(※私はこれを日本やアメリカの制度を参考に行政権に属するものとして判断したが、もしかすると議会の権限としたほうが良いのかもしれない)などがあげられる。また、行政機関の指揮監督権は基本的には行政府が握る。


政策はどのように実施されるのか/議会との連携

法律の執行とは?指揮監督権について

行政府による立法府への抑制

◇議院内閣制

議院内閣制を採用する国家においては、既に述べた通り議会が内閣に対して不信任決議を行いそれを辞任させられるようになっているが、同時に内閣には不信任決議に対して議会の解散によって対抗することが認められている。ただし、内閣は議会を解散した場合にも総辞職する必要がある。

議会の解散権は議会が安易に内閣を辞任させることを防ぐために内閣に認められる権限であるが、その権限がなくともおそらく議院内閣制は成立する。しかしその場合は当然議会に対するその外部からの抑止は弱まることとなる点には注意するべきである。


・内閣単独の決定による議会の解散
国によっては内閣は議会の不信任決議とは無関係に自らの意思のみによって行使できる議会の解散権を持つ(日本でも憲法成立当初には想定されていなかった事態であると思われるが、憲法7条の規定に基づき内閣が単独で議会を解散する決定をすることが可能となっている)。また、その権限は多数の議員の支持を得てやっと行使できる不信任決議に基づく解散権と違い、少数の人間の支持のみによって行使することができる(※日本では実質的に首相の意思のみで行使できる)ため、より容易に活用することができる。

議院内閣制を採用する国ではこの解散権を用いることで、内閣が能動的に立法府と行政府の対立による政治的停滞を解消することができる。それらの機関の間の対立が大きく政策の実施ができない場合は内閣が議会を解散し選挙を実施すれば、新たな議会とそれによって選出された内閣が成立し、議会と内閣の意思が一致する状態を再度作り出されることになる。

そして、私は少し前までは内閣単独で行使できる解散権については制限を掛けるべきであるとの考えを持っていた。何故ならばそのような権限を内閣に認めると、与党が自党の支持率が高いタイミングを狙って解散することで選挙で勝つ可能性を高めることを容易に行えるようになり、政党間の公正な競争が妨げられる恐れがあるからである。しかしそれを認めることは先述のように立法府と行政府の対立による政治的停滞を抑止する効果を生むことに加え、「選挙が終了して以降に新たに議会で国民にとって重大な議題が生じた場合にそれについての国民の意思を再度の選挙によって確認すること」や「議会の腐敗を内閣が能動的に修正すること」をより容易に行えるようにする。従って私は現在では、党利党略のための解散が行われた場合に国民がその政党に対して票を投じるのを避けるように努めるのであれば、内閣の裁量による解散を存続させても良いのではないかと考えている。

 

◇大統領制

大統領は民意によって選ばれたという正当性を確保していることから議院内閣制の首相或いは内閣と違い議会の承認を得ずに行使できる権力が大きくなっている。そして、大統領制では議会と大統領の双方の独立が強固であり、通常大統領は議会の解散権を持たず、逆に議会が大統領を解任することも困難となっている。

大統領が持つ権力の内容は国によって大きく異なるが、その主な例としては「議会の立法に対する拒否権」や「法的拘束力を有する行政命令の単独発令権」などの法的な権限があげられる。「議会の立法に対する拒否権」は、議会による法を用いた大統領やその指示によって動く行政機関への統制に、大統領自身が対抗するための手段として必要となる(※もちろん単に議会が誤った法律を作ることを阻止するために使われることもある)。その権限があることによって大統領が議会から独立して行政を行うことは促進される。ただし、立法府から立法権が損なわれることを防ぐためには、大統領が拒否権の行使によってある法律の成立を阻んでも、議会がより多くの人数の支持によってそれを再度可決したのであれば強制的にその法律が成立するようにしなくてはならない。また、「法的拘束力を有する行政命令の単独発令権」とは、大統領に憲法や法律による制限の範囲内で認められる「法的拘束力を伴う命令を行政官や行政機関に対して議会やその他外部権力機関の承認を得ずに発する権限」である(※議院内閣制の内閣もこれに相当する権限を持つことはあるかもしれないが、大統領が持つ権限と比較するとそれは弱小となるはずである)。ただし、それはあくまでも大統領が自身が支持する政策を行政官や行政機関に遂行させるための手段であり、一般の国民に義務を課したりその権限を制限したりするためのものではない。

情報開示義務

行政府及び公的機関は、国民の知る権利を守るため、国民からの請求があった場合に法律によってそれらが保有する行政文書等の情報の開示を義務付けられなくてはならない。また、政治の実態や政策の実行状況に関する情報は、国民が政治的な判断を行う上で重大なものについては、国民の請求の有無にかかわらず当然に公開されるべきである。ただし、個人情報や、公開されると国家の安全保障及び犯罪の予防に支障をきたす情報などは、開示義務の例外としなくてはならない。加えて、開示請求が大量に行われた場合には、期限内に情報が開示されないことが容認されるべきである。

行政府体制

・行政府内部の権力分立実例
私は他国の制度がどうなっているかについては詳しくないため語ることができないが、少なくとも日本の内閣(首相と複数の国務大臣から成る。また、「首相」及び「国務大臣の過半数」は国会議員から選出される)は合議制の組織であり、その意思決定(国会への法案の提出や政令の公布等関する決定)は首相と各国務大臣の議論によって行うこととなっている。また、日本ではその意思決定は首相とその他の国務大臣の全員の合意が得られない限りはなされないことが慣例となっている。ただし、国務大臣の人事権は首相が握っているため、首相がその気になれば、自身の意に反する国務大臣を解任し自身の方針と合致する者をその地位に就けたり自身が首相の役割と辞めさせられた国務大臣がになっていた役割を兼任することで、最終的には自身の方針を押し通すことが可能となっている。

以上の体制があることは首相の権力乱用にはいくらかの歯止めは掛けることに繋がっていると思われるが、それは強固なものではない。そしてそのことから内閣内の権力分立を更に強めることを検討する者もいるかもしれない。しかし、その際は行政府の意思決定が停滞することによる弊害についても十分に考慮し安易な改革を行わないようにする必要があるだろう。なお、内閣内の権力分立を推し進める方法としては、内閣総理大臣による国務大臣の罷免権の行使に、議会の賛同や国務大臣就任から一定時間経過していること等の条件を付けることが考えられる。

 

・行政権継承順位策定
首相や大統領が何らかの事情によりその職務を遂行できなくなった場合の代行者は、政治的な混乱を避けるために予め憲法や法律で定めておく必要がある。

 

司法府

司法の役割

司法の通常の仕事は「法律に違反したことが疑われる者が本当に法律に違反したのかどうかを明かにし、法律の違反者に対して与える罰の大きさを法律に規定された罰の大きさの範囲内で決定すること」や「法律に基づき私人間の争いを解決すること」である。また、司法の役割の内には、立法や行政の権力の乱用を抑止するために「特定の法律や命令が憲法に反するかどうかを審査し(※これを違憲審査という)、違憲である法律や命令を無効化すること」も含まれる。

国家の制度によって違憲審査とそれ以外の役割が同一の機関によって担われるかどうかは変わる。日本では、各裁判所が両方の役割を担うが、憲法裁判所を有する国では違憲審査を行うのは憲法裁判所であり、通常の裁判を行うのはそれ以外の裁判所である。

違憲審査

司法は違憲審査によって特定の法令の無効化を行うことができる。司法は違憲であるとみなした法令を、それらに基づいて判決を下すことを辞めることによって無効化する。また、違憲判決により国家による保証を実現することができる。

◇違憲と罰則

政治家に憲法を遵守させるために、司法が既に作られた法律だけでなく政治家の行為に対してもそれが憲法に反する場合には違憲判決を出せるようにし、なおかつそれによって違憲であると判断された行為を行った政治家には罰則が科されるようにすることを考える者もいるかもしれない。しかし現時点でそのような権力を司法が持っていないのはなぜだろうか。法と政治体制のいずれの専門家でもない私が短期間独自に洞察と調査を行った限りでは、おそらくそれは司法の権限が強力になり過ぎることを防ぐために認められてないのだと思われる。

司法はそれに求められる公平性や専門性から、「他政治権力機関からの独立性」や「非民衆代表性」を手に入れることになる。そしてそのような独立性と非民主制を兼ね備えた機関に強大な権力を付与することは、その権力への抑止が困難となることから危険であり、民主主義の観点からも好ましくない。そのため司法に認める権限は十分に制限されたものとする必要がある。しかし、司法に違憲判決を下すことによって立法府の議員や行政府の構成員に罰則を課す権限を認めると、その条件を満たすことは難しくなる。何故ならば、そのようにすると司法は憲法を恣意的に解釈することによって自身が気に食わないと感じる政治家に制裁を与えられるようになり、政治家を自らの思い通りに動かすことができるようになる恐れがあるからである。

従って、現状は司法が持つ権限は違憲な法律を無効化する程度のものに留め、政治家が違憲行為をした場合には既に述べたように他の政治家が自身に認められた(違憲審査によって対象に罰則を与える以外の)権限を用いてその人を抑止するか、国民が次の選挙でその政治家に票を入れないようにすることで対処するようにした方が良いだろう。

追記:国家が憲法に反する行為(憲法上規定されるべき法律を正当な理由なく長期にわたって作成しない立法不作為も含まれうる)を行った場合には、依然として違憲審査によって政治家に罰を与えることはできないが、違憲審査によって国家にその被害を受けた国民に対する賠償をさせることはできるらしい。以上をまとめると、違憲審査では政治家個人を処罰することはできないが、違憲である法律の無効化や国家の違憲行為に対する国家による賠償の決定はできるということである。しかしここまで書いて私が疑念に思ったのは、国家の賠償の義務が国民の大半に対して発生した場合に国家財政の破綻を招く可能性があるのではないかということである。恐らくそのような事態への対策は既にされているのだろうが、もしそうではない場合は、今後何らかの対策を打たなくてはならないのかもしれない。


司法の独立

裁判が公正公平に行われるようにするためには、裁判官が立法府や行政府に圧力をかけられてそれに都合のいい判決を出すようであってはならない。そのような事態を防ぐためにも司法府は、他の政治権力機関から十分に独立した状態すなわち他の政治権力機関の意向に左右され難い状態にあるようにしなくてはならない。そしてそのためには裁判官に対して報酬や身分を保証することが必要である。ここでいう身分を保証するということは裁判官の任期を十分に長い年数に固定し、任期中の裁判官の罷免が容認される場合を限定するということである。

・規則制定権

日本の最高裁判所は憲法の規定に基づき裁判所内部の規律など一定の事項について規則を制定する権限を持つ。これは外部政治権力機関による統制によって司法の判決がゆがめられることを抑止するためのものである。もし議会がその規則制定権を侵害する法律を作った場合には、最高裁は違憲審査によってそれを無効化することができるだろう。

法解釈の必要性

裁判官が憲法や法律に基づいて法的な判断をする場合には、裁判官はそれらの条文の意味を明らかにするための作業である「法解釈」を行うことが必要となる。

法解釈をしなくてはならない第一の理由は、憲法や法律の条文の意味が一義に定まるとは限らないことにある。ある語が指し示すものの範囲がどこまでであるのかについては、人によって解釈に差が存在することがあり、その結果憲法や法律の条文中に使われている語の意味は明白ではないことがある。また、単に条文自体に文法的な不備があったり条文間に矛盾が存在したりした場合も、条文の意味は不明瞭となる。これらの場合は、必要に応じて司法が何らかの妥当な理由に基づいて語や条文の意味を明らかにしなくてはならない。

法解釈が必要となる第二の理由は、裁判官が憲法や法律の条文の意味を現実に合わせて変化させられるようにするためである。憲法や法律の条文をそのままに解釈することは、それらの目的に反する結果や大きな社会的損失をもたらす恐れがあることにある。例えば、立法者が何らかの目標を達成するためにとある問題行為を禁止したとき、その禁止が禁止されるべきでない行為まで封じてしまうことがある。このようなことに対処するためには、立法者が立法を行う際に禁止されるべきではないことまで禁止しないような条文を考えれば良いように見る。しかし、実際には、立法者はただの人間に過ぎずある法律がもたらす結果について予め全て予測できるわけではないため、事前の努力だけで未来に生じうる問題を完全に回避した法律を作ることは難しい。そして、うっかり不当にものごとを禁じる法律が成立してしまった場合に、司法がその条文を厳密に実際の出来事に適応すると、社会に大きな損失をもたらす可能性が生じるのである。そのような問題に対処するために必要となるのが、裁判官による法解釈である。裁判官が憲法や法律の条文の意味を、言葉を厳密に捉えないことによって本来の目的や社会的な利益を害さないようなものとして扱うようにすると、以上のような問題は緩和することができる。そして、それを行うためにはそもそも裁判官が人を裁く際に法解釈の段階が必要である

以上に解説した理由から、司法には憲法や法律の条文の解釈をある程度自由に行う権限を認めることが必要である。ただし、そのようにする場合であっても、裁判官がそれらの条文の意味を条文中の言葉を全く無視して捉えるというのは認められない。何故ならばそれを認めると裁判官が自身の基準で人を裁いたり違憲審査を行ったりするようになり、その結果立法権や憲法の制定権は実質的に裁判官に握られることになるからである。従って、法解釈は法学によって示された手法(※1)や基準(※2)に基づいて行われるべきであり、それを行ってなお裁判において望ましくない判決が下されそうになった時には、違憲審査や改憲の手続き、その他の手段によってそれを覆すことが必要となる(※3)。


※1:条文の言葉をそのままに捉える解釈手法は文理解釈と呼ばれる。その手法のみで法解釈を行うことに問題がない場合はそのようにする。しかしそうではない場合は論理解釈と呼ばれる条文の言葉をそのままには捉えない解釈手法を用いて法律の意味を明らかにする。代表的な論理解釈の手法には拡大解釈や縮小解釈があげられる。拡大解釈では語の意味を拡大して捉え、縮小解釈では語の意味を縮小して捉える。拡大解釈や縮小解釈は無制限に行えるものではなく、本来の語の意味から全く離れるような拡大や縮小は認められない。また、他の論理解釈の手法には類推解釈という手法があり、それは条文中の語の拡大解釈や縮小解釈を行っても、その語に当てはまらないような物事についても、それに当てはまるものとして解釈する手法である。しかし、その方法は法律の恣意的な解釈を大きく促進するため、違反者に重大な罰則が科される刑法の解釈手法としては原則として容認されない(※追記:被告人に有利に働く場合は容認されるかも)。

※2:各種の法律の解釈手法をどのように用いるのかについては、法律の目的等の情報を元に決定する。ただし、法律の目的は何らかの資料から読み取れる法律の作成者(議会)の法律の作成時の意思のみによって定まるのではない。法律の目的は法解釈時にその時点での社会情勢等の情報を加味したうえで妥当なものとなるように設定しなくてはならない。


※3:私は議会の2/3程度の特別多数の賛成があれば、無制限に恩赦(減刑あるいは刑の無効化)を行うことが可能となる制度は、採用する価値があると考える(1/2の賛同の場合は限定的な恩赦とした方がいいのではないかと思う。そうしなければ多数派が自分の都合のいいように誰かを無罪としはじめるかもしれない)。そうすれば国家による過剰な罰への対処がより容易になるだろう。そして、ドント式等の民意を不正確に議会に反映する手法を採用していない民主国家に限定されるが、議会の3/4以上の賛同等の厳しい条件をクリアした場合には遡及処罰が行えるようになる制度も検討の余地があるだろう(ただしそれを規定する憲法の条項の改正条件は引き続き2/3でよい。何故ならば3/4という規定はちょっとした権力乱用に対する戒めに過ぎないからである)。何故ならば、そのような制度があれば、国家による過小な罰への対処が可能となるからである。ただし恩赦や遡及処罰が無責任に行われないようにするためにも、それらを実行する際の一定の指針や制限というのは事前に定めておくべきである。少なくとも遡及処罰は問題の程度が多少にすぎない行為を行った者や悪意をもって行動を起こしたわけではない者には適用するべきではない。また、遡及処罰によって与えられる罰の大きさには何らかの上限が設定されていた方がよい。なお、以上は司法の非専門家である私のちょっとした思いつきにすぎないので、安易に賛同しないようにするべきである。

 

 

解釈権の暴走に対する抑止

以上のことから憲法や法律の条文は、厳密な論理的操作のみによってその意味を明らかにすれば良いというわけではないことがわかる。従って、司法においては法律をそのままに捉えないことがいくらか容認される必要がある。しかし、一方で、司法に厳密ではない法解釈を認めると、今度は司法がその解釈権を濫用する恐れが出てくる。

私はその問題については、裁判官に対して何らかの明確な解釈のルールを強制力のある形で課すことによってではなく、次のものによって対処することが好ましいと考えている。
・法についての深い理解が備わった裁判官による良心に基づいた努力
・法学の発展
・権力分立による司法への統制
・その他司法監視制度の構築(詳しくないため省略)

裁判においては論理的に厳密である法解釈のみを行うようにすると現実を無視した判決を下す恐れがあることからそうではない解釈も容認する必要があるのだが、解釈のルールを裁判官を拘束できる形で定めたのなら結局はそのルールが現実に合致しない場合に同様の問題が生じることは避けられない。そのため強制力を伴う法解釈のルールの設定は避けるようにするべきであり、もしそれをするのであればルールの内容や強制力は十分に抑制的なものとする必要がある。

 

「法についての深い理解が備わった裁判官による良心に基づいた努力」と「法学の発展」

裁判が適切に行われるためには、法について十分に深い理解が備わっている裁判官が自らの良心に基づいて判決を下すことが必要である。また、法学の発展により正しい法解釈の方法を明かにすることで、それを学ぶ裁判官の法的な判断の質をたかめなくてはならない(なお、法解釈の方法の詳細についてはいずれ私の別の書籍あるいはブログで解説する予定である)。

権力分立による司法への統制

※以降では便宜上違憲審査を行う権限を有する裁判所を違憲審査裁判所と呼ぶことにする。ただし、日本の地方裁判所のように違憲審査権を有してはいるが、更に上位の組織の意向次第で違憲判決を判決を覆される組織は、ここでいう違憲審査裁判所には含まないものとする。

もし裁判所への外部からの抑制が存在しなければ、裁判官は法の解釈をいい加減に行ったり自身の都合で否定したい法律を否定し始めるかもしれない。従って、司法はその独立が過少とならない範囲で立法や行政による統制を受けなくてはならない。以降で解説されるのはその統制を適切なものとするための手法である。

ただし、ここで示されるものはドイツの憲法裁判所や日本の最高裁判所のような違憲審査を行う権限を有する裁判所に対する制御の手法に限定される。それらに該当しない通常の裁判所への抑制を行う方法については、次の司法内部の統制関係の部分で紹介する。

 

◇任命権と弾劾権を活用した司法への統制
・違憲審査裁判所裁判官の任命権と弾劾権を行使する際のルール
多くの民主国家において違憲審査裁判所への統制は立法府や行政府がその裁判官の任命権や弾劾権(弾劾とは、身分を保証された立場にある者をその人が行った不正を理由として罷免あるいは処罰することであり、弾劾権とは弾劾を行う権限のことである)を行使することによって行われるが、それらの権限の行使には十分な制約が必要であり、同時にそれらの権限を持つ者は自らその力を悪用しないように努めなくてはならない。また、それらの権限は司法としての役割を適切に果たせる人間を裁判官という地位に就かせるために活用するべきであり、後に紹介する違憲審査等において自らに都合のいい判決を下す者に司法権を握らせることを目的として用いるべきではない。

なお、私を含む大多数の一般国民は裁判官を適切に選出するための能力や司法の専門家の助言を得るための体制を十分には備えていない。従って、違憲審査裁判所の人員の任命は民衆ではなくその代表者が専門家の助言を尊重しながら行うようにしたほうが良いだろう。

・任命詳細

法に関する専門的な知識を有している者に限定して裁判官を任せることは、裁判官が政治家の都合ではなく法学的に正しい判断基準に基づいて判決を下すことを促進する。従って、違憲審査において最終的な決定権を有する裁判所の裁判官となる者は法に関する深い理解を備えている必要がある。そのためにも、それらの裁判所の裁判官は、裁判官、検察官、弁護士、法律学の教授や准教授の職業に一定期間就いていた者の中から選ばなくてはならない。

・弾劾詳細
裁判官が弾劾されるのは「裁判官が職務を甚だしく怠った、あるいは、職務を遂行する能力を著しく欠いている場合」や「裁判官が著しい非行を行った場合」に限られるべきである。裁判官が政治家の望み通りの判決を下さなかったことを理由に、その人が裁判官の役職から外されることは認められない。

 

・違憲審査裁判所裁判官の不当な増員あるいは減員
違憲審査裁判所の裁判官の人数を変更する力と裁判官の任命権を持つことに成功した個人あるいは集団は、違憲審査権を持つ裁判所の裁判官の人数を増やし、あらたに増える分の裁判官を自身の方針と合致する者に置き換えることで、違憲審査の結果を自身にとって都合のいいものにすることが可能である(あるいは裁判官の人数を減らすと同時に自身の方針と合致しない裁判官を辞めさせることによっても同じことができる)。しかし当然そのようなやり方は司法による公正な判断を脅かすものであり不適切である。そのため政府が違憲審査を行う権限等の強力な力を持つ裁判官の数を増やしたり減らしたりしようとするのであれば、それは次の選挙以降に選挙を経るごとに少しずつ裁判官の人数を変動させることで行うようにするか、その他公平性が保たれる方法で裁判官の増員あるいは減員を実施することを受け入れることが必要である。

・違憲審査裁判所裁判官の任期
違憲審査裁判所の裁判官の任期は短すぎれば司法の独立が脅かされるし、長すぎれば司法への統制が機能しなくなる恐れがある。私の個人的な考えによると、司法の違憲審査権がより強大である権力分立体制(司法が後に解説する抽象的違憲審査を行える体制等)を採用する場合には、その権限を有する裁判所の裁判官の任期は、その間にその任命権を持つ機関を選出するための選挙が複数回行われるが、終身ではない程度の長さ(10年から15年程度か?)が良い。また、違憲審査権を行使する裁判官の再任は、裁判官が再任を決定する権限を持つ機関に都合のいい判決を出し始めることを防ぐため禁じることが好ましい。

 

 

◇日本における違憲審査裁判所の裁判官の任命と裁判官の弾劾

日本では違憲審査裁判所である最高裁判所の裁判官の任命権は実質的に行政府である内閣が持ち、弾劾権は立法府である国会が持つ(※正確に言えば、最高裁判所長官は形式的には天皇が任命するのであり内閣が持つのは指名権である)。

 

・任命
最高裁判所裁判官の任命は、裁判官が退官したときや正当な手段によって罷免された時に内閣によって行われる。このとき、最高裁判所裁判官に選ばれるのは、裁判所法によって、識見の高い法律の素養のある40歳以上の者に限定されている。また、同法によって、全15名の最高裁裁判官のうち10名は、裁判所法に定められた期間、高等裁判所長官、裁判官、検察官、弁護士、法律学の教授あるいは准教授のいずれかの職に就いていた者でなくてはならないことが定められている。なお、最高裁判所裁判官の任期は存在せず、一度その役職に任命された者は、自らの意志で退官したり罷免されたりしない限りは、70歳になるまでの間はその職務を継続することになる。

 

・弾劾
日本において、裁判官の罷免が認められるのは「裁判所の裁判によって、心身の故障のために職務を執ることができないと判断されたとき」「国会に設置された国会議員によって構成される弾劾裁判所が弾劾を決定したとき」「国民審査によって罷免が支持されたとき」のいずれかである。このことは憲法によって定められている。

また、弾劾裁判所が弾劾の決定を行っていい場合は、「職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠ったとき」や「その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があったとき」に限られる。このことは裁判官弾劾法によって定められている。

個人的な見解:私が調べた限りでは日本では裁判官の弾劾が容認される場合の規定は憲法ではなく法律におかれている。しかし法律は憲法と違い容易に改正できるため、私はその規定は憲法に置かれるべきであったと考える。また、裁判官の弾劾は、弾劾に関する権限を自らの意志で行使しない決定をした者を除く全議員の3分の2以上の賛同がなければ行えないようにしたほうが良いだろう。

 

・国民による裁判官の審査
日本は世界でも珍しい国民が違憲審査裁判所の裁判官を投票で罷免することが可能となっている国家である(※ただし今まで国民の判断で罷免された裁判官は0である)。私はこの仕組みは国民の多数派による横暴がまかり通る原因になる恐れがあることからどちらかと言えば適切ではないと捉えているのだが、同時にそれがあることで国民が行政の不当な手法によって任命された裁判官を罷免することを可能となることから、現時点ではとりあえずそれをわざわざ積極的に廃止する必要性はないとも考えている。日本国民は今後法の専門家が特定の裁判官が適任ではないとの警告を発した場合それが十分に妥当なものであると確認できたのであれば、その裁判官を辞めさせるようにすると良いだろう。ただし今後国民の政治参加の意欲が高まりその結果かえって国民が直接的に裁判官を審査する制度が悪い方向に作用したのであれば私はその制度を修正あるいは廃止することを支持する。具体的な修正案としては、国民投票による裁判官の罷免の条件を全有効投票数の3分の2の不支持に引き上げるものが考えられる。


◇ドイツの任命と弾劾
※以下には私の思い違いがあるかもしれない

ドイツの憲法裁判所は16人の裁判官によって構成され、そのうちの半分は連邦議会(下院)によって選出され、残りの半分は連邦参議院(上院)によって選出される(※1)。裁判官の選出に当たってはそれぞれの院で3分の2の賛同が必要であり、それにより多数派の権力の濫用は防がれている。ドイツの憲法裁判所の裁判官の任期は12年で再選は認められない。また、憲法裁判所の裁判官が任命されるのは日本と同様に裁判官に欠員が生じたときである。

※1:任命は大統領によって行われるが、これはおそらく日本の最高裁の長官が内閣に指名され、天皇によって任命されるのと同じようなことである。

 

司法内部の統制関係

 

 

司法権の限界とその拡張

日本の最高裁判所は民衆の代表としての性質が弱い。何故ならば、その裁判官は、民衆自身でも民衆によって直接的に選ばれた代表でもない内閣によって選出されるからである。その結果、日本の司法は民衆の代表によって定められた法律に対して違憲判決を出すことに消極的になっており、違憲審査を行うことができるのは法律を実際の事件に適応しようとするときに限られ、違憲であることが疑われる法律が成立したタイミングでそれに対する違憲審査を行うことはできなくなっている。

また、日本の最高裁判所は違憲審査を専門に行うわけではないことから、違憲審査を適切に行うための能力がいくらか低くなっていると考えられる。そして、そのことは、統治行為論という「高度な政治性のある事柄については、政治の専門家ではない司法が政治の実情を無視した判決を下し社会的な混乱をもたらすことを避けるためにも、違憲審査を行うことを回避するべきである」という理論によって、日本の司法がそれらの事柄に対する違憲審査を行わないことを促進する結果に繋がっている(ここの統治行為論に対する私の理解は少々誤っているかもしれない。この点はいずれ気が向けばブログにおいて是正する)。

しかし、以上のような状態では最高裁判所が憲法に反する法律や命令を積極的に停止することができないという問題がある。私はその問題に対処するためにも、日本人は憲法の特別裁判所の設置を禁止する規定を改正することで憲法裁判所の設立を可能にし、それに違憲審査を行う権限を付与すればよいのではないかと考えている。そして、その際は憲法裁判所の裁判官の選出は議会が行うようにし(※1)、違憲審査を行うにあたっては裁判官が政治的な事柄に関して把握することが容易となるような仕組みを用意すると良いだろう。そうすれば、司法は、積極的に違憲審査を行うことができるようになり、更には法律に反することが疑われる事件が起きる前の段階で法律そのものに対する違憲審査を実行することができるようになるはずである(ただし、依然として政治的に致命的な問題を生じさせることを防ぐために統治行為論によって違憲審査を避けなくてはならない場面というのは発生しうるという理解は持っておくべきである)。

なお、裁判官の選出に当たっては、先述のドイツの例を真似をすると良いのではないかと私は思う。また、憲法裁判所が実際に設立されるまでの間は、最高裁判所が引き続き違憲審査を行うことは改憲の際に明確にしておかなくてはならない。違憲審査は、憲法裁判所自らの判断や、通常の裁判所やその他の勢力による違憲審査の要請に基づいて開始する。

 

※1:万が一議会が合意に至れず憲法裁判所の裁判官の空白が一つあるいは一定数以上生じかねない状態になったのであれば、司法自身にその空白を埋めさせるのがよいのではなかろうか?あるいはいっそのこと、現在の裁判官や法学の教授等もしくは全有権者の中から抽選で違憲裁判所裁判官を選出することも考えられる。

 

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