世界平和実現構想+α

世界の平和を実現するための方法を考えます

民主主義とは「ある地域の政治を決める権限をその地域の全住民の平等な所有とする制度」の実現を目指す思想のことである 

この記事は書籍「世界の基礎」の一部です。

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私は民主制とは「ある地域の政治を決める権限をその地域の全住民の平等な所有とする制度」のことであり、民主制の実現を目指す思想が民主主義であると考えている。誤解を避けるために補足すると、これは「地域の住民の一部によって政治を決める権限が独占される制度」や「政治的な権限が全員に与えられていてもその権限の大きさに差のある制度」は民主制の内に含まれないということである。そして理由は次の項で触れるが私は世界のすべての国に民主化を求めることを推奨している。

ただし、ここで注意してもらいたいのは、私は実のところ世界の国家に対して先ほどの条件全てを完全に満たすことまでは求めていないということである。例えば私は国民の内あまりに年齢が低い層についてはまだ判断力が十分に身についていないので政治を決める権限に制限をかけることも(将来にはその考えを変える可能性が多少は存在するが少なくとも現時点では)やむを得ないと考えている。また、政治家を選ぶための選挙において各有権者が持つ票の間に価値の差がある場合、国はその差をできる限り是正しなくてはならないが、これについてもやむを得ない理由がある場合に限りある程度受容する可能性がある(詳しい説明は後の選挙の項目において行う)。つまり、実際には私がもとめるのは完全な民主主義というよりもそれに近い民主主義であり、私がその国が独裁的であるとして批判を行うのは民主制の度合いが十分でない国家に対してであるということである。

そもそも民主国家と独裁国家の境界線は明確ではない。世界にあるのは完全な民主国家や完全な独裁国家ではなく、より民主国家に近い国やより独裁国家に近い国である。そして私が求めるのは各国家が民主主義であるための条件をある程度を越えて満たすことであり、私が批判するのはその条件を十分に満たさない国家である。


・独裁者による民主主義の定義の変更
世の独裁者(あるいは独裁政権)の中には、民主主義の定義を自身にとって都合のいいように定めることで自身こそが民主主義を体現者であるかのように見せかけようとするものがいる。私は当然このような行いに対していい思いは抱いていない。とはいえ言葉の定義というものは特定の誰かにのみ決める権限があるわけではないので、もしかすると私はそのような行為に対して間違っていると断定することはできないのかもしれない(そもそも私がこの書籍において用いる民主主義の定義も必ずしも一般に流通するものとは限らないので、ある人から見れば私の行いもまた民主主義の定義を自身の都合で変更するものに見えるかもしれない)。だがもしそのようにして民主主義の定義を人々が自身の都合で変更することが認められるのだとしても、私が権力がごく一部の人間によって占有されるような制度を支持しないことに変わりがない。もしある者が民主主義の定義を自らの制度を民主主義と呼ぶことが可能になるように変更し世界に流通する民主主義の定義もそれと同じものになったのだとしても、その後の私は今度は民主主義以外の語を使って地域の住民全員で政治を決めることができるという条件がより十分に満たされた制度を支持するだけである。私は私が独裁者と呼ぶ人々に対してはその事実をよく理解しておいてもらいたい。あなた方が民主主義という言葉の定義を書き換えたところで私の主張内容が変わるわけではない。

 

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